自分を大切にする
今日は雨に降られること二回。
なかなかの一日でした。
私が今、恵まれてるなあと思うのは
職場の人が「自分を大事にする」を教えてくれていることです。
自分を守るために、相手と上手に関わることができる人で
私の雑談を聞いて「よく我慢しましたよね」って言ってくれる。
「私やったら無理ですって~」とかね。
あ、そうか、私の我慢は普通じゃなかったんだなって思える。
私の怒りや悲しみ(という風には出さないけれども)をさらっと肯定してくれる。
同じポイントで怒ってくれる人は貴重だと思う。
肯定してくれる人が側にいると、成長できる。
ちょっとしたことで怒らずに済む。
世界にたった一人ではないと思えるだけで、自分の感情をコントロールすることも大変じゃない。
自分を好きになる、大切にするためには
味方になってくれる人(べったりじゃなくて)をあちこちに見つけておくことだなあと思うよ。
パートナーや子どもにそれを求めても難しいと思うし
世界中に味方を増やしたほうが面白い。
と、わたしは思ってる。
たくさん褒めてくれる人をつくろう。
どんなきっかけでもいいから。
そして、褒めてくれない人を遠ざけてよし。
無理に付き合う意味なし。
その人の自尊心を満たしてるだけだからね。
人を選ぶのも、自分を大切にすることのひとつ。
相手の反応を冷静に観察すれば、相手がどんな人間だか(私にとって)わかる。
譲れない部分をはっきりしておくことが、人間関係を楽にする秘訣のような気がする。
その時に、自分を大事にしてくれた人を思い出して、それ以上かそれ以下かを見定めること。大事にされる感覚を忘れないコト。
わたしはやっと、大事にされた記憶を使うことを覚えた。
それは決して贅沢でもないし、理想が高いということでもないのです。
心地よく生きていくために必要なこと。
誰かに「理想が高い」と言われたら、その誰かは何かを我慢して人と付き合ってるんだねって思ったらいいし、「わたしはそんな関係性はいらない」と思えばいい。
わたしは、自分の技術や頭脳は人のために使いたいと思うけれど
「思いやり」や「甘やかし」や「忖度」や「気が利くこと」を無料で配りたくないんです。
そういうのを無料でやることが、女子力だと思ってる人たちは多いし、
無料でやらなきゃ結婚できないと脅す人もいるけど。
そんなことないよ。
見返りなしに甘やかしたらあかんし、見返りなしに気を利かしてもあかん。
愛とそれらは似て非なるものだよ。
やった分だけ還ってくる人と付き合おうね。
そ、れ、も、愛!
宗教的なことを信じているのは、神様とふたりで生きていると信じるためであって、決して神様のふりをした人間を崇めるためではないのです。
わたしはひとりじゃない。いつも見守ってくれている存在がある、と思うことで、とても寂しくなった時や悲しくてたまらない時も前を向いて歩きだせるのです。
決して自分には視えなくても。
おじいちゃんもいつも見守ってくれているらしいし(笑)
助けられてるなあ、護られてるなあという安心感で生きていると、私そのものに安心感が備わって、バタバタしなくて済むし、落ち着いて発言するほうが説得力あるしね。
お勧めですが、真似しなくていいです(笑)
「占い師を頼るな」とか「スピに依存するな」と言ってる人たちって
結局、クライアントに「神様の存在を信じさせる」のに失敗してるだけですものね。
神様があなたのそばにいるから安心してくださいって伝えるのが本来の宗教に携わるものの役目だと思うんですよ。
それを「神様が見える私を頼って」と思って仕事するからそんなことになるんじゃないかなあ~。
今日はそんなことを思いました。
わたしは、人間より、視えない存在を信じていますよ。
人間は常識にとらわれまくって、ジャッジしない人なんてどこにもいない。
けれど、神様的なものは、マジ自分の味方ですよ。
何かをしてくれるわけでもないんですけどね、それでも、少なくとも「私を利用して何かをしてやろう」とは思ってないことはわかるので。
お金も取らない(笑)
優しさも奪わない(笑)
むしろ、優しい気持ちにさせてくれます。
「視えないモノと生きていく」というのは、視える人だけの特権ではないですよ。
誰にでもできると思います。
しなくてもいいけれど!
明日がお休みだと思うと油断するね~。
しっかり睡眠取りましょう>自分。
先日の美術館で。