結果じゃない
やっと暖かくなりました!
今日はお花見日和ですね。
写真で花見~~~
最近、悩み方が変化してきました。
それが、誰かの役に立つかなと思ったので少し書いてみますね。
そもそも、わたしはあまり悩まない人でした。
子どもが学校に行かなくても、自分がうつ病になっても
悩むより自分を責めるほうが勝っていましたし
現実の処理に常に目を向けていましたから
ぐじぐじ悩むことはありませんでした。
けれど、その現実を処理する時に
やっぱり「こうしたい」という目的があり
「どうしてそうならないんだろう」というジレンマと戦っていました。
そうならなくてもいいんですけど、若干の諦めがあり
「わたしだからうまくいかないんだろう」という風に結論づけておりました。
それがもう辛くてね。
だけど、この頃、そう思わなくなったんです。
誰かに「こういうことを言いたい」「自分はこうだと伝えたい」(みなさんは、言うことすらためらっていらっしゃるかもしれませんが、私は”言いたいこと”がはっきりしているので、そこからの出発です)と思っても
ちょっと寝かしておくことが可能になりました。
それは、自分の主張を引っ込めるとかやめるとか、優しくなるってことではないです。
自分の中にある「気持ち」は最大限尊重して上での話です。
保留にしておくことにしたのです。とりあえず。
そしたら、たいていの場合、うまくいくことがわかりました。
相手に負けることもなく、我慢することもなく、なんとなくうまくいく。
結果はないんです。
そこにあるのは、心の平安みたいなもの。
以前なら、決別してしまったかもしれないシーンでも
相手から理解のあるメールが届いたり。
私は、私の気持ちを素直に書いただけで、それをどう受け取られるかにドキドキはするのですが、それでも相手に従ったり謝ったりはしないまま、うまくいく。
「わたしは理解してもらえない」という思考が少し外れたのかもしれません。
よく「世界は優しい」と言う人がいます。
優しいのは人ではなくて、「世界」なんだけどね。
「人」を悪く言うと「あなたは世界を意地悪だと思ってる」みたいに言われたんですよ。違いますよ~
人は意地悪な時もあるし、問題もある。それは他人も自分も同じです。
ただ、どんな出来事があっても、「世界は優しい」と思うことはできるということです。
それを学んでいるといつも思います。
今の状況を「悲しい」と認識することもできるし「ゆっくりできている」と認識することもできる。どっちを選ぼうかなあという感覚。「悲しい」を選んで、悲しみをじっくり味わう時間にしても、それはそれで自分に優しいと思うんです。
どちらを選んでも誰にも批判も非難もされない。自分でいるだけです。
選ぶことにさえ脅してみたり、「あなたはそれでは幸せになれない」なんていう人をたまに見かけますが、そんなことして楽しいかな?その人がそうやって自分を脅して生きているんだろうな~と思いませんか?
自分の話ですが
今日みたいなお花見日和に「ひとりだよ」と思ってちょっと悲しくなったんですね。誰もお花見さそってくれない(笑)みたいな。
でも、ゆっくりと朝ご飯を食べ、洗濯をしているとね、たまらなく幸せを感じました。
好きなように時間を使える。誰にも強制されないトキを生きている自分、それをずっと望んでいたことも思い出しました。
そして、ひとりで「いる」と思ってるけど、実は、ちゃんと「おはよう」と言ってくれる人もわたしにはいる。今日もわたしを思い出してくれる人がいる。
その上で、一人時間を過ごしている。こんな至福はないなあと思います。
幸せというと「お金が降ってきた」だの「恋人ができた」だの
即物的な(笑)ことで観察して「ほら、こうすれば幸せになるでしょ」と言わんばかりの宣伝が増えてる最近ですが
マジでそういうことじゃねえからな!って言いたい。
今、外食を止めて、お弁当を毎日作っています。
外食していたあの日々は素敵だったけど、飽きてしまった。
まあ、その欲望を満たしてあげたからそれはそれで落ち着いたんでしょう。
だって、息子たちのアレルギーとレストランでおとなしくしていられないことがあって、家族で外食なんてほぼしなかったですから。憧れていて、外食できる幸せを味わってみたかった。お弁当作りも飽きてたしw
なのに、「私が今、何にお金を遣いたいか」を真剣に考えたら、「外食は最低限に」になりました。(カフェは別(*^^)v
自分を満たして満たしていくと、本当の望みに近づくのかもしれません。フェイクだった望みを叶えてあげることで、「あ、これいらない」に気づける。
お弁当作りの時間が全然苦痛じゃなくなりましたよ。
過去の私には考えられないことです。
そうやって、幸せを見つけていくことが幸せなのかもしれません。
結果じゃないんだよなあ。
だから、どんな時であってもその人はその人でいいし、世界に自分を委ねられるまでやってみたらいいと思う。
この感覚を、分かち合えますように。それを世界に祈ります。
昼からお花見でも行きますか
地元は桜の名所がいっぱいなのです。