風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

これから

 近所の小学校で盆踊りが始まった。

小さい頃は踊るのが好きで、よく参加したが、人目を気にしだしてから踊らなくなった。

盆踊りはトランス状態に入れると思う。

同じ動作を周りながら踊る。振りは覚えてしまい、いつしか心が空っぽになる。

フォークダンスもそうだけど、簡単な踊りのほうが人は深く自分に入れるのに、どうして難しくなっていったのだろうか。

遠くの町で、誰も知らないところで、盆踊りに参加してみたい。

 

私にとって、お盆といえば地蔵盆だった。

祖母の家の横に、お地蔵さんがあって、お地蔵さんを守っている地主の家が主催してやる。(知らない人は、私の住んでいる町がこれほど田舎の風習を保っていることに驚くだろう)

私が嫁いだ後は、私の名前で両親がお供えをしてくれていて、私の子ども達もお菓子をもらいに行ったものだった。

道でスイカに噛り付くのは、特別な楽しみだった。

 

実家と距離を置くようになり、そういう行事にも参加しない。

今では弟夫婦が取り仕切っていることだろう。

 

最近、同窓会が続いている。

子どもも大きくなって、自分の高校時代を懐かしんで集まれる時間ができたという理由だと私は考えている。

 

わたしは、学生時代の記憶があまりない。

夢の中に生きていたような感覚があって、現実だったかどうかさえわからないぐらいなので、人の顔も名前もなかなか出てこない。

だから、同窓会など行かなければいいと思うのだが、私にとっては、あの頃と違う自分が彼らに出会ったらどうなるだろうかという実験の気持ちが大きかった。

 

「久しぶり~」と言いながら集まってくるメンバーと近況を報告しあう。

お互いに久しぶりだから、「会っていない間の歴史を語る」時間となる。

私はその時間がとても好きだ。

けれど、その時間が一段落した後は、学生時代の思い出話に花が咲く。

現在進行形で付き合っている友達は、今の価値観を共有し、今の自分とフィットするから付き合って話も盛り上がるのだが、同窓会はそうではない。

 

つまり、過去の話とリンクさせていかなければならない。

 

私には過去の記憶はないし、誰がどうしたと言われても何も思い浮かばず、途方に暮れてしまう。

 

そこで私の同窓会は終わる。

 

仕事で名刺交換をするように、わたしは新しいつながりを眺めては放置してしまう。

きっと、何かあれば助けてくれるだろうし、それはとても心強いことだ。

私のようにシングルで実家とも縁が切れていると、どこかにセーフティーネットが必要である。

 

なのに、これは祖母の血なのかわからないけれど

どうしても上手につながれない自分がここにいるのである。

 

どこまでも不器用な人生を想う。

 

盆踊りは踊れるけど、ダンスは踊れない。

 

夏が終わる。

 

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