風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

人生はひとつじゃない

朝、とってもいいお天気だと思っていたら

あっという間に薄暗くなってしまった日曜日。

こういう日はリンゴを煮るに限ります(笑)

 

安野光雅さんがお亡くなりになったということで

Twitterでは安野さんの絵本を紹介する画像がたくさん流れていて

懐かしく、嬉しい気持ちになりました。

 

私が一番好きなのは

 

このシリーズです。

細かいんですけど、知ってる人は知ってる「ゆうめいなおはなし」があちこちに隠れていて、遊び心いっぱい、絵も美しい、二度も三度もおいしい絵本。

学校図書館で捨てられそうになった時に「これはいい絵本ですよ」と止めたこともありました。

 

 

絵本というのは、本来このような美しさと楽しさを兼ね備えたものだと

私は思っています。美術館に行かなくても、字が読めなくても、美しい絵に触れることができる。そして、何度も繰り返し見て、大きくなったら読むこともできる。

その時々でその絵本への見方が変わっていくのも面白いです。

 

だから、自己啓発的な絵本を絵本とは言いたくないし、勧めたくないというのが

私のスタンスです。それは違うだろうと。本が読めない大人が喜んでその単純化を買っていくという意味でもね。

 

で。

 

朝から、鬱の漫画がバズってて

ちょっとこれはと思ったので書いておきます。

 

アドラー心理学に向いている人、向いてない人とは? ―アドラー心理学の危険性 - decinormal

 

↑この記事が流れてきて読んでみたら

私の言いたいことが書かれていて、さらに詳しく私が引っかかっていたところまで

解説していて、みんなこれ読んで!ってなりました(#^^#)

 

「宗教」「哲学」と「心理学」をごっちゃにしている勢が勘違いしている中での混乱。

 

そして簡単な鬱の解説本が出るたびに、素人や、鬱になったこともない人たちが

「鬱はこうなんだって」と親切に教えてくれるという地獄が続いてますよね。

重篤な鬱を患った身としては、「口を縫ってやろうか~」としか思わないんですけど

それを「自然派の身体に詳しいと勘違いしている人たち」や「成功哲学で幸せになった人たち」が上から目線でやってくるわけで、弱ってる鬱の人には言い返す力すらなく、そしてまた、鬱の時は判断力まで低下するので、そこを狙ってマウンティングする人たちが絶えないというのが、私の見立てです。

 

精神科医やカウンセラーに絶望して、素人の言葉に騙されることはありうると思っていて、確かに、医者や病院にいるカウンセラーにも困った人はいるのもわかります。

けれど、それでもやっぱりお医者さんと素人じゃ、そもそもの知識が違うんです。

スピ系やロハス系で「治った」人がいたとしても、そこに通うのは限られた人たちであるし、自分が選んだ人だけを「みて」、「治った人の例しか取り上げないで」いることもあると思うのですよ。

 

ちょっと話はずれるのですが

私の父は、私が高校生の時に胃がんになりました。

転移することもなかったようで、無事に過ごしていましたが

胃がんじゃないもので、命を落としました。

 

本人が「悩んでいると思っていた部分」は「胃に問題がある自分」で

だけど、本当はそこじゃなかったという話。

 

その本質的な部分に気がつく人であれば「本当に力のある人」だと思いますけど、

巷に溢れてるのは、

父のことを「胃に問題を抱えた人」と見立てる人ばかりです。

 

何が言いたいかというと、お門違いなアドバイス(こっちの悩みに引きずられたあげく)、「あなたの○○は何が問題で、どうたらこうたら」と言うのが「正しい」と思ってる素人相談員が増加してるってこと。

こんなことを言っても、やってる人たちには通じないのはわかっているのですが

「人生はもっと多様である」ということを

誰もが知っていてほしいなと思います。

 

「この知識があれば誰かの役に立てる」「助けてあげられる」と安易に思った瞬間に間違えます。

人間はそんなに簡単じゃない。

 

鬱が寛解するストーリーは無限にあるし

一度良くなったと思ってもぶり返すことだってある。

「今悩んでいること」が人生における決定的な悩みじゃないことなんて山ほどある。

そのたびに、女性性に問題がある人だとか、成育歴で愛が足りなかった人だとか

そうやって決めつけて相談に乗ることで、その人を「そこ」に押しとどめている可能性だってある。

 

「問題を見つけること」が癖になったらもう大変で

「だからあの人は不幸なのよ」の押し売りになります。

 

そう言っちゃう人は、たとえ本人が「学校の先生に傷つけられた」と訴えても

「先生は悪くない」とか言い出して二次被害を与えてしまったりして。

 

なんてこともあちこちで起きていると思ってきた20年間、全然解決されないところを見ると、人間てマジ変わんねえ、ですね。

 

成功も失敗も、豊かさも貧しさも、人生が終わるその日まで

何ひとつ決まってないですよ。

 

それがわかるまで人は経験をし続けるのかもね。

 

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 お正月に撮った大阪駅。