集団主義がゲスな理由
試験が終わったので
ブログモードです。
なかなかおもしろいことに気づいたので書かずにいられない。
私は、集団や家族主義といったものが苦手なのですが
「個」で生きられないのが真実だとしてよ?
でも、集団主義も家族主義も
「私と同じ集団、同じ家族”しか”助けませんのでよろしく」ってことなのですよ。
つまり、一人で生きられないから、「誰かと仲よくしてなきゃだめよ」と言ってる。
人間全体で、隣の人とも助け合う(仲良くなくても)というところに行かないのがわたしはとにかく嫌いなのです。
だって、ひとりじゃ生きていけないくらい弱いのが人間だとしたら。
どんな人間も「みんなで助ける」方向に行くもんじゃないの?
どうして「同じ集団じゃなきゃだめ」「家族じゃなきゃだめ」なの?
助けられる範囲があるとしても。
それを拡大していくために、人類は発展し、遠い国の人ともつながれるようになったわけです。
それなのに、「隣は違う家族だから助けたくない」「助ける義務はない」「あの子は私の子どもではない(産んだけど)」「あの人は私の配偶者ではない(セックスはしたけど)」ってことになって
トラブルが発生するんですよね。
パートナー主義の人、愛する人がどうこうって言ってる人だって
結局は「人類愛」には辿り着かない。
「私に洗脳される人じゃなきゃ助けてあげない」「依存しない人じゃないと受け入れない」って言ってるじゃないですか?
自分自身の「小さな愛」を自覚して、「人類を救うつもりなんてありません」と公言してくれてたらまだしも。「人類のために」「みんなの幸せがわたしの幸せ」と言っておきながら、自分が救えるのはこの範囲です~~~って笑える。
好きな人しか救わないんだよ、人は。←これ、はっきり言ったほうがいいよ。
もし、全体のことを考えるなら、それはやっぱり政治というか、「仕組みを変えていく」ことに目が向くのが自然だと私は思ってる。
心が~心理学が~波動が~って言ってる人は
たいてい自分の好きな人にしかアプローチできないし
組織を嫌いながらブラック組織作っちゃうし
つまり、自分が何をしていて、何を見ているかに自覚がないのが、ね。
相続で揉めるのも、不倫が叩かれるのも
全部「家族はここからここまでです」「あなたは入れたくありません」「救えるのは家族だけで、それ以外はどうでもいいです」
という、自分が家族というアメーバに増殖して同一化するからであって
もしその家族の一員が何かをしでかしたり、アメーバとして同一化できなかったらとたんに「あなたは異生物ですね!」とはじかれる。
どこが「人類愛」だよ(笑)
家族主義にとらわれている人が、いったいどうやって日本全体の幸せを願えるのか私にはまったくわかりません。
神話も家族主義にどっぷり浸かってるよね~。
心の中に敵がいるから争うんだ!と声高に叫んでいる人がいるけれど
目に見える形で「家族」という形で、敵を作ってるのはわたしたちです。
家族がまとまって村になり、村がまとまって街になってるんだから。
ニコイチで、家族単位で、この世界に立ち向かう人はそりゃ心強いし、頼もしいし、ひとりで頑張らなくていいし、ね。
でも、そううまいこといかない人間だっているわけですけど。
その「うまいこといかない」をカバーするのが知性であり、仕組みを考える人であり、「うまいこといかない人をコントロールして変えてやろう」(←これが心理学やら波動説を唱えてる人たち)とするのは違うんじゃないかと私は思います。
どんなふうに生きていても「生きていける社会」を私はずっと心に描いています。