風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

「つがい」は美しいのか?

離婚してからよく考える。

どうして人間はカップリングを美しいと信じているんだろうと。

 

子どもを産み育てるという機能のほかに

何があるんだろう。

 

婚活を仕事にしている人たちは

「どうしたら異性に好かれるか」を必死に考えてる。

または「相手の親族に好かれるには」とかね。

 

だけど、見てよ。

結婚している人たち全員、どうよ?

 

自立して性格も良くて、思いやりのある人は

たいがい独身かもよ。

 

人は、未熟だから一緒に居たがる。

私はそう思う。

若くて結婚するのはそのためだ。

 

お互いにそういう経験も積むだけの話。

いい人だから結婚できるわけじゃない。

寂しいから、未熟だから、ひとりでいられないから。

そういう気持ちで結婚する人はたくさんいたし、これからもいると思う。

 

だから、一度結婚してしまえば

自分を磨くこともなく、自分の未熟さに向き合って必死になることもなく

ふわっとしたまま年齢を重ねてる女性も多い。

子どもが生まれたらそのまま毒母にもなる。

 

独身を恥じることはないし

結婚を鼻にかける必要もない。

どちらも同じ人間です。

 

つがいでいないと恥ずかしく思わされる社会って変ね。

 

源氏物語を読んでも、たくさんの女性と男性が出会うけど

一緒に住んでラブラブしてないし

なんていうか集団を作っていないと自分たちが生きられないからっていう理由で

一緒にいたんじゃないかなあと思わされる。

 

全然ロマンチックでもないし、尊いわけでもないんじゃない?

 

ただ子孫を残していくだけで。

 

江戸時代が好きな人も多いみたいだけど

その時代だって好きな人と一緒に生きられる人なんてごくわずかだっただろうし。

悲恋のほうが多くて、だからそれが良かったんじゃないかな、物語として。

 

「家」というものが、今よりずっと大事な時代には

恋愛はまったく遊びだったと思う。

いつの間にか、「家を保っていく」ことと「恋愛」がごっちゃになって

おかしな価値観が出来上がった気がします。

 

家を保つために男と女が共に頑張ることと

お互いを愛して一緒にいることは

全然違うことですよ。

 

だから、別に「家」に縛られない人たちが

カップリングする理由は何もない。

それが美しいってこともない。

そのような感情を味わうのはたまらなくいいもんだけど、それだけですよ。

 

自分の人生に何が必要か、それを他人に決められることはないです。

 

たった一度の人生で何がしたいか。何を味わいたいか。

それは自分にしかわからない。

でしょ?

 

「つがい」を美しいと見えるのは、その人がそういう価値観でモノを見ているからです。

 

物差しを変えれば見る景色は変わる。

 

f:id:pikake-jasumin:20200923092208j:plain