風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

今を生きている、ということ

私たちは、今を生きています。

過去から引き継いで今日まで生きてきました。

反省はしても、過去を美化したり賛美することで得られることはありません。

 

それがわからないから

戦時中の雰囲気に憧れたり、

幕末に憧れたり

江戸時代には日本は美しかったなどと

過去のあちこちにヒントをもらおうとするだけでなく

その時代にすべてを求めようとする傾向があるのは

とても不思議なことのように思います。

 

自分自身の主張に間違いがないと思っているのなら

わざわざ過去にその主張の原因があるかのような言い方はしなくていいと思うんです。

今の時代に、今を生きている自分自身そのもので

話をすればいい。

 

すべてのことにプラスとマイナスがあって

そのどちらも「あり」の中で生きている。

どうすればこれから良くなるか、という話をする時に

過去を美化する必要はない。

 

過去には過去のマイナス点が必ずあるのに

美化する人たちは、意図してそのマイナスを語らない。

わたしはそれが気に入らないなあといつも思うのです。

 

こういうこともあった、こういう悲劇もあった。

だけど、ここだけは真似できないか、ということなら

私にもわかる。

 

だけど、まるでその時代すべてが良かったかのような

錯覚を起こさせる言葉を使って人を誘導する人がいることに対して

私はまあ、賛成できないわけです。

人として。

 

それが私という人間です。

 

さて。

 

過去に学ぶ人たちが、往々にして過去の汚点についてわざと語らないようにすることと、欠点と長所を並べることができず、ただ欠点について語ることを嫌い、それをネガティブな攻撃だととらえてしまうのは残念なこと。

 

すべてを包括しているこの地球で

自分(を賛成してくれる人、の主張を認めてくれる人、に反対しない人)たちだけは美しいはずだ、ということでしか生きられないとすれば、

それはいつか他者をシャットアウトすることになるだろうと思います。

 

戦時中を賛美する人と江戸時代を懐かしむ人には

共通点があると思っていて

その直感ははずれていないと思ってます。

 

とにかく「今」の「何か」が嫌いで、攻撃したいけど

自分が攻撃しているように見られたくないから

「あの時代はよかった、あの時代と比べて今は」と言うことで自分を守ってる気がするんです。

 

「いいこと」の仮面の下で、「今の何か」を必死で攻撃しようとしてる。

だから、反対意見を受け入れないし、攻撃だと受け取るんじゃないかなあ。

医療や農業や何かに不満があるなら、自分の中にあるその不満とやらを

しっかり発信すればいいのに、自分を「いい人」に見せたいがために

不満としてでなく、「昔はよかった」「昔に戻そうとしている自分は美しい」みたいなものを振りまいてしまう気がします。(政治屋さんもそういうとこあると思ってる)

 

きちんと声を上げて、活動をしている人のほうが、

ずっと正直で私は好きです。

これが嫌い、だから改善したい、という願いのストレートさに

私は心を打たれる。

 

311のあと、原発反対と電気を使わないことがごっちゃになった界隈がありましたよね。今はどうしているか知らないけれど。

わたしは、電気を使わなきゃ生きられない人たちがいるのを知っていたし

私自身も、冷房も暖房も必須な人です。

山奥で電気もない、自分で畑を耕さなければいけない環境におかれてしまえば

私の寿命なんてどれほど短いかと思う。

 

原発に頼らなくてもいい、かつ電気が使える社会を目指せばいいと思うのに

どうして「原始的な生活に戻れ」という主張になってしまうのだろうかと不思議でなりませんでした。

 

そんなに体力のない、弱い人たちを淘汰したいんだろうかと思ったものです。

 

体力があって、自然の中に放たれても生きていける男と、医療機器がなくても出産できる強い女性だけの世界に戻したいのか、すげーなとしか思わなかったし、あれから、自然派に対する考えはまったく変わってしまいました。

 

今の生活を崩さない方法で、今の生活がよりよくなる方向で

発明や発見をすることもできるはずなのに。なぜ昔に戻りたい?

 

若さってそういうことで想像力の及ばない部分がありますが、自分ではわからない。

私もそうだった時もあるからわかる、だからこそ、この歳で言わなきゃいけないことは言うのです。

 

わたしだってわたしのご先祖さんが生き延びてくれたことを感謝しているけれど

農家で祖母がどれだけ姑にいじめられながら、肥溜めから肥料をかついで「無農薬の」米と野菜を作って働かない祖父と家族を支えたかという話を聞くとね。

無農薬と、人間の尊厳をはかりにかけたら、わたしは女性がいじめられないほうを選びたい。

 

今の時代でできることを、今の時代で考えてやっていくしかないのだと思います。

 

過去を例に出したり、比べようもないことを比べて根拠にしようとすることなんて必要ないじゃん。それこそ現在に対しての攻撃でしかない。

今想像でき得ることの最高を求めていくのが筋だと思うけどな。

 

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