怠けるということについて
寝たり起きたりの自由な日々も終わりに近づいてまいりました。
体重も戻りつつあるし(これはこれで怖い)
過ごしやすい気温にもなったので
ぼちぼち活動開始のタイミングかと。
そこで、またあちこちアドバイス伺いがてら観てもらってるのですが
引っかかったキーワードがありました。
「怠けやすいので、それを克服したら運気が開けますよ」とのこと。
え~~~(>_<)
その言葉を見た時は少しショックでね。
でも、凹んでいるだけの昔の私じゃない!(笑)
冷静に理由を考えてみたんです。
ググってもみました。
結論「まあ、しゃーないわ。これからがんばろ」以上。
人の期待だけで生きてきた半生。
魂としては「自分の時間と自分のやりたいことをしたい」わけです。
隙あらば「期待から逃れよう」とする。
でも、元気な時って期待通りに動ける時でもあって。
体調が悪くなることが、期待に沿わなくて済む一番の方法であったわけです。
つまり、怠けてるように見えるってこと。
元気でも、他人の期待のない生活をしている人ならば
自分のために怠けずに努力することは、それほど難しくないかもしれません。
だけど、元気であればあるほど、他人からの要求がきつくなる私の場合
逃げるところは「体調の悪化」しかないんです。
そりゃしゃーないわな~。
この半年、ほぼ自分のためだけに生きることができました。
子どもに戻ったみたいに、好き放題してました。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝る、ということも。
さすがに、あちこち痛くなったりして(´;ω;`)自由に動けることはなかったのですが
それでも、心は自由になりました。
でもね、やっぱりどこかにあるんです
「何にも縛られたくない」「自分が始めたことでさえ、窮屈な気持ちになりたくない」
ものすごい抵抗です。
ああこれ、過去からの課題なんだなあと思って、ちょっと上から眺められるようになってきたのがここ最近のこと。
わたしは、自分自身の力をずっと「鎖をほどくこと」に使ってきました。
いかに逃れるか、だけです。
その先のことを思い描けなかった。
奴隷が繋がれてた鎖から解き放たれた時
今までと同じような生活は二度としたくないと思うんですよ。
だけど、それ以外の暮らし方の中で「いいもの」を選ぶのも難しいんです。なぜならそれは、縛られていた時に似ているからです。
規則正しい生活、自分で課題を作ってこなす生活と
誰かに期待され、押し付けられた生活との違いがわからない。
だからまず、幼かった頃にできなかった自分、とにかく「縛られない時間を気ままに過ごす」ことから始めるしかなかった。そこから、自分を育てていくしかなかった。
今も育ててる最中ですが。
それを「怠け」と捉えるかっていう話になります。
自立とは、誰からも言われなくても、ひとりで自分の生活を健康的に送れることかなと思うのですが、ほとんどの人は、家族がいるから何とかやってる状態かと思います。
「だから家族はいいものだ」なんて言われたくないんで(≧◇≦)
そうじゃなくてね。
「自分が心から、自分の中から、自分を大切にする気持ちが芽生える」ということを
私は待ってるわけです。
私の中の人は、「さぼり大好き」ですけど
そいつをずっと憎んできたわたしは、その自分を認められなくて叩きのめしてばかりいた。
でも、そんな私こそ、愛してもらいたいなあと願っていた。
嫌ったり憎んだりするんじゃなくて、愛してなだめて一緒に歩いていけるように。
そんなこんなで、わたしはやっと
私をちょっと応援してくれる人とつながれるようになってきました。
すぐに凹んだりダメな気持ちになる私だから
遠くから、たまに、小さな声で「がんばれ~」とか聞こえてくるとありがたい。
私に責任も持たず、たぶんどっち転んでも何も言わず
だけど、「応援して」と頼んだら応援してくれるぐらいの。
すぐにいじけて扉を閉めてしまう私を
避けないで嫌わないで怒らないで、扉の向こうからそっと覗いてくれて
私が出て行ける時には、何もなかったように相手してくれる
そんな人を、ずっと待っていた気がします。
怠けてる人ってね、怠けたいわけでもないんだよね。
だからってその人を言葉や何かで変えようとしたって無理で。
何がその人を怠けさせようとしているか、だと思うしきっと何かある。
私が部屋を整えるのは、掃除嫌いだからで、掃除を怠けるからですが(笑)
苦手部分をカバーできる能力が身に着くこともある。
だから、一概に悪いわけじゃないと思うけどね。
今日はふたつも記事を書いてしまった。
がんばりました。
だってゆっくりできるのはこの4連休しかないって!