体験すること
図書館に勤めていた時に重宝していたサイト。
いつ見ても面白いです。
最近、気になってるのが、日本語を勝手に解釈してポジティブになろうとしている人たち~。物語も言葉も、時代によっていいように作り替えられてしまうのに、まるで「大昔からそれが定説」みたいなことを言ってる人がいて(影響力あったりする)ホントにもう、また平成令和の伝説を作ってるんだなあって思います。
それで、↑↑↑を載せてみました。
蝶々は漢語で「カハヒラコ」が和語って知ってた?
ね、誰も平安時代の発音すら知らない。
それを何をもって「日本古来」と言ってるんだかと。
せめて百人一首には馴染んでほしいわ。
さて。
全然関係ない話にGO!
一人暮らしをしていると、「寂しくないか」または「自由でいいね」の
どちらかを言われます。
誰もが自分の想いを抱えながら、他人の生活をみている。
寂しい時もあるし自由でいいと思う時もある。
だけど、一人暮らしをしていない人の想像を遙かに越えていきますよね、当たり前ですが。結婚経験した後の一人暮らしは、娘さんの一人暮らしとは違うんだけど、同じように言う人もいてびっくりします。
結婚に夢見ていても、結婚の現実が違うように。
だからわたしは、ひとりひとりの経験を言葉で聞くのが好きです。
自分の思い込みを話すのではなく。
妄想を話してる場合じゃない。
自分の現実を言葉にしようよ。
離婚を夢見て結婚生活を続けるより
たしかな結婚生活を送るか
離婚に向けて一歩踏み出すか。
どちらかにしてみたらどうかなと思う。
できなかった夢を語るより
今できることを語る。
そして他人のリアルを尊重する。
日本人は妄想で他人に説教するし
他人のリアルを勝手に否定するし。
人の生活を見下すことも、羨ましがることも
どちらも同じかと。
自分の理想に近づけるのは自分が一歩一歩歩いていくから。
嬉しいことも悲しいことも寂しさも全部ありだから。
ふわっとした善人を生きてたって
リアルは生きられないんじゃないかなって
そんなことを思う。
人生に正解を探すのは愚かなことだと思うし
いつだって正解を生きてると思い込むのは傲慢につながる。
やりたくないことをしなければならない時期も
身体を壊してしまうことも
すべて自分の糧になるのだけど
実体験をする側と、それをただ見ているだけの(家族含む)側の
人生の違いについて思う今日この頃です。
今日もリアル人生を生きていくのだ。
大好きなワーゲンバンが停まってたお菓子屋さんで。