風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

誰でもいいということ

やっと過ごしやすくなりました。

これ以上、寒くならないで!

 

仕事について。

女性なら、生理もあるし、出産で休まなきゃいけないこともある。

私は常に「いつでも誰でも代わりができるように仕事内容を整理する」ことを主眼に置いていて、自分の仕事については必ずマニュアルを残すとか、仕事を簡単にするとかしてきました。

仕事の内容も大事だけど、「この人にしかできない」のは違うだろうと。

人次第で変わるようなものなら、独立してやればいいことだし

少なくとも公務員や企業などの、チームで仕事をする場合は

後任に誰が来てもできること、休んでも誰かが代われることが大事だと思っています。

 

だけど、そういうやり方をものすご~く嫌う女性がいましてね。

どの職場にも必ずいる。

「私じゃなきゃだめってことにして!」みたいなね。

だから、私のやり方に反発するわ、止めてくるわ、上を通して文句言うわ・・・

 

「誰にでもできるようにする」=私はいなくてもいいのね!という解釈をしてしまわれる。

 

自分の城を作らないと不安でたまらない。

自分の家庭のように「私がすべてをコントロールする」場でないと生きていけない。

それって病んでるなあと思うんですけど

その病んでる人を会社の上の人たちは擁護するですよね、不思議。

 

人が何か、誰かに依存するということは、そういうことです。

「あなたじゃないとダメだ」と言われたい、依存されたい。

だけど、「誰にでもできるような仕組みを作った上で」頼りにされるということは普通にあるわけです。

その仕組みさえ作らせないで「マイルール」に固執するということは

人としての自分に自信がないのでしょう。

 

学校が変わらないのもそのせいで

「私のクラスですから」と口を挟ませない。

担任がすべての責任を背負うことが前提で、しかも、そうしたいと思ってる教師が多い。

そのくせ、仕事が多いのなんだのって、当たり前ですよ、自分にしかできない仕事を量産しているのは自分だから。

 

「誰がやっても」というと語弊があるかもしれなくて

「だったら教師じゃなくていいのか」になるのは極論すぎるとは思いますが

少なくとも「ベースが教師であること」は譲れないわけで

仕事というものは、「その仕事のプロであること」と「職場を発展させること」のふたつを両立させていくものだと、私は思っています。

 

家庭でもそれは同じで、「母親にしか運営できないような家(どこになにがあるかわからないような家)」は良くなくて、すべての家族構成員が「どこになにがあるか」が一目でわかることが大事じゃないですか。

 

私の場合、子ども部屋は掃除したくなかったので(笑)すべてを子どもに任せましたし。

元夫は家事をするのが当たり前でしたから、私がいつ急にいなくなっても大丈夫!という安心感がありました。

 

あ、そうか。自分で仕切りたい人って、「私は不在にならないからね」という存在感が必要なんだね。

「その場にいるかいないか」が重要なのね。

そうまでして存在感が必要なのか。

 

自分のいない世界が快適にまわることが許せない。。。

これって「憎んでいる人を許しなさい」とか言ってる人もやってるんだけどな(笑)

家庭に思いっきりしがみついて、家族に自分の存在を認めさせたい、そういう世界でないと許せないわ、と思ってるからこそ、「私がどれだけ素晴らしい存在か」を周りに言わなければいけないのかもしれない。

 

誰にでもできるように仕組みを整えておけば

家庭でも休めるし

仕事も休んで罪悪感を感じることもない。

 

それってよくない?

 

自尊心が高くないと難しい???

 

「私ががんばらないと!」っていうのが私はホントにダメなんで。

ひとりだけに頑張らせる世界を撲滅したいwww

 

そうすると「私がいなきゃ困る世界が必要」な人は困るのかもしれないけど

けど、それって別に「仕事で番長になる」「母親として絶対視してもらう」じゃなくてもいいやん。生きてるだけで必要な自分だとわかれば。

 

そして、色んな人とチームで仕事をして、同じ仕事を違う考え方で一緒にやることも覚えて、そうすれば、おのずと仕事も家庭も良くなると思うんだよね。

 

誰にでもわかるように。

誰でもできるように。

その教育や訓練の仕方もマニュアルである程度できるように。

そしてそれが、間違っていないように常にみんなでチェックできること。

 

結局それが、国や政治の仕組みだと私は思っていて

「誰かがやってくれる難しいこと」に丸投げするのは

「みんなひとつ」の思想に反するって思ってます。

 

みんなで「地球人」としての仕事をするのに

「私にしかできないのでまかせてください」の人を作るのは違うでしょう。

 

私にできることは誰にでもできることだよって示さないと。

 

だから、職場や家庭で「わたしがいなければ」とやってる人がいる限り

この世界はまだまだだと思っています。

スピでもそうなんだよ。

ごく少数の有名な人たちが本を出したりするのは「誰にでもできるように」「誰にでもわかるように」解説したいという願い。

有名になりたいからではないんだよね。広めたい、自分がいついなくなっても伝えられるように、という気持ち。

 

「自分」じゃなくて「その知識や技術」が大事。

 

それを勘違いしてる人たちが日本にはいっぱいいて

「自分が一番」でしかない。

そうまでしないと、自分を認められない。

 

謙虚であるということは、「自分」より「知識や技術」を広めようとする気持ちだと思う。

 

相手を立てるとかそういうことではないと思う。

 

自分の存在は、「なにか」を広めるため、人類のために必要で

「自分の名前」を残すために生きるんじゃないってことを知ってる人が

謙虚な人です。

 

わたしは、そういう人を何人も知ってるから、すごく幸せだし

私はもう、自分の原家族にとって、「そこにはいないけど伝えることは伝えた」人間なので、これからもそういう役割をしていくつもり。

 

ほとんどの職場でマニュアルを作ってきた私としては(笑)

生きていくためのマニュアルを作っていくのかもしれないと思うのでした。

 

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