人は何かに動かされてる
風が少し涼しい気がするけど
毎日が暑すぎるせいかもしれない。
先日、職場のお悩みを聞いたのだけど
たくさんの職場を見てきた私は思うのだ。
「パワハラ気味な人が居座っている職場が増えてる」
それはおそらく、派遣などに代表されるように
管理する人はどこかのビルにいて
現場で働く人をコントロールするだけだから
現場で何が起きてようが関係なくて
新人が虐められてようがなんだろうが、
とにかく「表面上だけうまくいく」ことを求めているからだと思う。
私も40代後半になってからあちこち転々としたけれど
仕事をする上での基本的なスタッフ対応ができない人ほど
居座っていて偉そうでパワハラをする傾向にあった。
女性は、職業人として人を育てる経験がなさすぎる。
会社での経験が少なすぎる。
だから、その場を「家族」とみなして、後輩を「子ども」と勘違いしてしまうこともあるのかもしれない。
管理職として採用された若い女性を虐めて追い出すお局的スタッフがいる場所もあったし、アドバイスを受け入れない頑なな場所もあった。
会社で生きてきた男たちが作った「女性だけの職場」は、本当にいびつになることが多い。
それはともかく。
だから、人間関係に苦労するのはいつも優しい人のほうで
常識があり、「それはおかしいだろ」と思うほうが離職していく。
そして「私の何が悪かったのだろう」と自分を責めるのだけど
客観的に見て、その人には何一つ問題がないことのほうが多い。
人が悩んでいる時、「自分自身で考えて正しい思考をしている」ように思ってしまいがちだけど、実は「環境」「人間関係」「体調」に左右されているのかもしれない。
それぐらい、人間というのは、周りに左右される生き物なのである。
「心」はいとも簡単に操られてしまうのである。
「メンタリスト」というドラマで、今日はNLPのセミナーを行っている人が、催眠によって人を殺すという設定を見た。
「自分」なんていうものは、あっけなく他者に明け渡されていく。
私自身、鬱病の時、抗うつ剤を飲んで「心が晴れやかになった」経験があるし、胃の痛みがなくなったことがある。
経験しなければわからないことだけど、「え?薬でまさか?」と本気でびっくりする。
悩みとは、自分自身で解決すべきことだと思っていたし、心に雲がかかっているのは自分の思考癖のせいだと信じ込んでいたのだ。
身体の使い方によっても考え方は簡単に変わる。
洗脳は、この世のあらゆる場所にある。
だから、自己責任などというものに踊らされて、辛くなる必要など全くない。
その言葉自体が洗脳だと私は思ってる。
私は、ある時期に「母の嫉妬」というキーワードに辿り着き
また、自分の中にある「わけのわからないイライラ」とも対面したことで
誰もが、「わたしの行動は理にかなってる」と思っているけれど
実は「目の前の出来事に対して、過去の思い込みや洗脳によって反射的に行動しているだけ」だということが、わかってきた。
幼い頃の私が怒られたり褒められたりしたのも
「わたし」そのものに原因があるのではなく
親の脳の問題だったのだ。
親が見ていたのは、わたしではなく、遠い過去の記憶だった。
わたしたちは、洗脳されて生き続けているのだという自覚が必要で
だからこそ、自分に望ましい洗脳を自分自身に与えていくことが
宗教というものになっていくのではないかと思う。
「わたしのせいかな」と思い始めたらストップしてみてほしい。
体調が悪いのかもしれない、環境が合ってないのかもしれない。
相手がイラついているのは、あなたにではなくて、自分自身にかもしれない。
「自分を大切にする」「自分を愛する」というのは
「自分をネガティブにしてしまう洗脳から離れよう」という運動である。
感情や思考というのは、一人立ち止まって自分を責めたところで何も変わらないということだ。だって、思考する自分のせいじゃないんだもの。
自分を動かしてるものの正体を見極めるか、あるいは、身体ごとさっさと離れるかである。
社会は大きな洗脳装置である。
日本を離れたら生きやすくなった、という人がいるのも、そういう理由だろう。
日本社会が「男と女とはこういうものである」という思考を、幼少期から、テレビや親や学校を通じて植え付けてるのだから、全員が洗脳されてるのは間違いない。
育つ場所が違えば、思考も変わるのだ。
意識している「わたし」なんて、いともたやすく操られてしまう。
そのことがわかっていれば、少し楽に呼吸できるんじゃないだろうか。
意志の力ですべてを何とかできるわけなんてない。(人を許すことを強制されたって無理なんだからね!)
自分を責めないで。