風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

本質に触れる

雨の日はろうそくの灯りがよい

毎晩、ランタンに火を灯し

キャンプファイヤーを眺めていた頃

夜の暗さが好きだった。

 

火を眺めて暮らした日々が私のそれからを変えたのかもしれない。

 

その10年後、自然と共に生きる、と言っている人たちと

出会ったけれど

なぜか価値観が合わずに離れてしまった。

自然の中で生きることは、誰にでも開かれているはずなのに

同じ価値観を共有しなければならないという苦しさを伴っていて

それならひとりで自然の中に入っていった方が

どんなにいいだろうと思った。

 

服装やお化粧や食べ物の味の好みなど

自然派の人たちと私はまったく違うところにいたにも関わらず

私はその頃、必死で合わせようとして、そのせいで相手を憎みそうになったこともあった。

色んな価値観を吸収したいと思って、あらゆるところに顔を出すのだが

自分の個性のほうが勝ってしまって自滅することに気づいていなかった。

 

そう、今思うと、私の個性がどこにも居場所を見つけられないだけだった。

きっとどこかに、私を認めてくれる場所があるはずだと=私がお邪魔します的な姿勢でいけば入れてくれるんじゃないかと、勘違いしていた。

 

低姿勢で行けば行くほど私は個性を出せなくなり

個性を出すたびに衝突するだけだった。

 

様々な価値観の女性集団を渡り歩き、やっと見つけたのが

男性が集まる場所だったのは皮肉なのかと思うけど

男性とがっつり関わる女性たちの言葉に、私は救われたのだった。

 

私より少し若い女性たちのほうが

私にとって当たり前の価値観を言葉にしていて

なぜかわからないけど

ああやっと、時代が私に追いついたと思った。

 

男性社会に溶け込むことで評価を得ようと必死になっている

同世代から上の世代は、私にはまったく合わなくて。

自然派であろうが、不登校の場であろうが、そこにいる女たちは

男に気に入られることを最優先していたように見えた。

スピってる人も同じだった。

自分が知ってる男だけが男だと思っていて、ひたすら女としての役割を果たした評価されることを望んでいるように見えた。

どこにもかしこにも、上には男がいて、その男に気に入られている女がいて。

その構図はどこにいっても変わらなかった。

 

面白くないな、という私の気持ちは、「僻んでるんじゃないの」「モテないからじゃないの」という世間と自分が自分に言う言葉で押さえつけられてきた。

 

だけど、全然そうじゃないってことが

たくさんの男と話す中で見えてきた。

 

で。

例えばこういうこと。

 

http://w/202007-janesu01/https://sheishere.jp/intervie

 

スー:おそらく実家がひっくり返ったっていうのが一番大きくて、ナイーブになっている場合じゃねえ! みたいなのがあったんですけど。あとは、「パッシブ・アグレッシブ」(受動的攻撃性。本人が感じている「怒り」「不平不満」などの否定的な感情を相手にぶつけず、消極的かつ否定的な態度や行動を取ることで、相手を攻撃しようとする心理)でいることで損することって、想像よりずっと多かったから。体感としてわかってきました。私にもパッシブ・アグレッシブな時代がそこそこあったので。

女の人は、受動と能動で言ったら、いまだに受動の側にいるほうが好まれる存在です。受信機としての性能のよさばかりを問われること自体に、わたしは不満を持っていて。

「受動」側の存在だけではないと発信することが、私にとってはすごく大切なんです。期待される女性の属性を受け入れ過ぎていないかと、常に自分に問う。そういうことを書いたりしゃべったりすると「でもそれは、スーさんができる側だからじゃないですか」と言われることもあるんですけど、「じゃあ、あなたは試してみたことある?」と思う。強制したわけでもないのに、せっかく芽生えてきた私の能動性をパッシブ・アグレッシブに攻撃しないでよ、と(笑)。

きちんと女性側の想いを伝えると、聞いてくれる男性はいっぱいいるんです。

それを勝手に「優しい女」を演じて伝えようとしないだけ。

わかってくれなくて当たり前です。

 

攻撃でも悪口でもないんだけど、女性ってすぐにそういう風に捉えてしまう。

 

男性も女性とうまくいきたいし、そのために学びたいと思ってるのに

女性側の勝手な配慮がそれを妨げていることもある。

 

というようなことも、思い切って男性の中に飛び込まないとわからなかった。

 

私たちの世代は、結婚して一人の男にだけ仕えるというのが

当たり前の価値観で、それが最高だと思わされているけれど

30代の女性だと、結婚しないで複数の男性と付き合うのが当たり前になってたりもします。(結婚にものすごく憧れる人もいる一方で)

 

そうなると、もう全然話が合わないわけです。

私はその30代女性との方がわかる、わかりみが深くなる。

 

ひとりの権力のある男性に必死で好かれようとする態度を内面に持ってる女性と

男なんて一人に限定すると危険だし、自分主導で動きたいしという態度でいる女性とでは発言から何から変わってくると思うのです。

 

トップの権力ある男性に好かれていりゃ安泰と思って、女性らしいふるまいを一番価値が高いと思ってる女性たちは、結婚することがすべて(夫が権力者の代替だから)だろうし、性的に自由であろうとする女性はすべて敵なのだろうと思う。

村社会とかある種の宗教はトップの男性を崇めるように誘導してるんじゃないかなあと私は思っています。だから、特に昔回帰をする自然派の人たちの、男性を崇める感じって異様だよね。

 

でも、そういうところから自由になってる若い女性たちは

もう男は男としてしか見てなくて

性の作法にも言及するし、ダメなもんはダメだろうときっぱりと言う。

一緒に楽しめる相手として、お互いが存在できるところから

始められる。いい時代に離婚したなと、つくづく思います。

 

男にいらんベールを被せて接するより

素直に伝えようよ、と私は思う。

 

愛されたいってだけで、媚び売って、それが素直だと思ってる女性がいるけど

そうじゃなくてよ。

 

相手の本質に触れる体験を少しでもたくさん持ちたい、そのための人生だと思っている今日この頃です。

 

先日ついに、「ふと横を見るとイケメンの顔がそこにある」という体験をさせていただき、ホストにハマる女性の心理を垣間見ました。

娯楽として楽しめるかどうかが分かれ目。

 

世界は広い。

 

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