内輪とか元気とかの話
昨日外出したので今日はゴロゴロする。
それが私の今のペースである。
毎日規則正しく起きたり
毎日同じぐらい元気で何かできることなど
人生でほんのししかなかった気がする。
そういう部分においても
わたしは、この国で人としてまともではないのではないかと
思い続けてきた。
生理があっても涼しい顔をして学校生活を送れる人や
一度も倒れたことのない人や
徹夜してでも何かを為して、人に信頼されている人をみるたびに
あ~わたしは生きてていいんだろうか、と思った。
そして、30代で鬱病を発症したことを期に
整体やヨガや気功やあらゆるものに手を出してきた。
精神的なものが原因なのかと思って心理療法的なものもやった。
食事も、玄米からアーユルヴェーダまで研究した。
一度でいいから、普通に健康な自分を感じてみたかった。
というか、この自分は何なのだという疑問を誰かに解消してもらいたかったのかもしれない。
その意味では、精神科医が一番私をわかってくれたけれど
それでも「じゃあ、薬で調整して、普通の人になってくださいね」と言われた。
それは違うと思って薬をやめた。
今になって思う。
私は、自分の健康でない身体をそんなに嫌っていたのかと。
思い通りに動いてくれないことにイラついていた。
それだけのことだった。
大好きな車に無茶な走り方を要求するようなものだった。
私が、私の歩くペースを大事にしていないことを指摘する人は誰もいなかったのが不思議なのだが、おそらく、社会というものが、すべて「みな、健康であれ」という呪いの元にあって、その呪縛から逃れている人というのは、一度でも自分の身体がどうにもならない苦しみを味わった人だけかもしれない。
それでも、「治りました!」「健康が一番です!」の信者になる人もいるしな。
発達障害や起立性障害という名前をもらわなきゃ
学校に朝から元気で登校することが普通で
寝たいだけ寝ることも許されず、痛みを抑えて頑張ることを奨励される子ども時代を送っている私たちが、どうすればその人個人の体質に合わせた生活を送ることを考えることができるだろうか。
どんなに善人であっても、その前提から逃れている人はとても少ないと思う。
ただ、放射能が蔓延している日本で、コロナが世界中を覆ってきた世界で、何となく体調がすぐれない、毎日を規則正しく送れない人は増えていくような予感がしている。
そうなった時、やっぱり「若い頃は徹夜できました!」みたいな根性論で突っ走る人だけが金持ちになるのか、それでいいのかが問われる時代になると思う。
どんな体調に襲われても人として普通に暮らせる世の中になればいいと思っている。
そうなれば、男に養われることがすべてじゃなくなるし
男だって弱っていいとなれば、生き方を見直すかもしれないし。
マッチョで元気で才能のある男だけの世界じゃなくて。
徹夜もして男と同じように仕事ができる女だけが活躍できる世界じゃなくて。
気配りしまくっても倒れない根性のある女だけが金持ちになれる世界ではなくて。
私がそういう世界を見たいと思えば見ることができるかもしれないな。
普通の人たちが輝く世界。
桃食べたい!を、今年は叶えてあげる~自分にご褒美。