つながらないでも生きる
夏日ですか!暑いです!
拾ったネタでブログ書く~
ワタクシ「つながらない生き方」を推奨しております。
様々なアドバイスやカウンセリングを受けてきて思ったこと、それは・・・
「生きるためのアドバイス=集団でうまくやるアドバイス」が多すぎるということでした。
おかしくないか?と何度も思ったのですが
生きづらさを抱えている身としてはその当時、言えるはずもなく。
ようやく文章化できるようになりました。
日本ですからね~生きる=つながるになるのは
わからなくもないのです。
村社会で村八分にならない人間になることが、最優先されるわけで。
だけどそれ、本当の意味で「生きる」ことですか?っていう話です。
村に染まらないとお金あげない、稼げなくしてやる。
村に従わないと食べ物あげない。
だから、村に染まる人間=健常者であれ、という感覚が
アドバイスする人のどこかに潜んでいる場合
そのアドバイスはとんでもなく人を違う方向に導くんじゃないだろうかと思うんですよね。
個人主義の国で「つながりの大切さ」が言われるのはまあ、わかる。
でも、こんなに個と個が溶け合うことを喜んでしまう国で
これ以上「つながること」を叫ぶのは、もう、なんだか、ね。
そろそろ、個と個を斬る方向に進みませんか?
わたしはそっちのアドバイザーにならなれるんです。
どうして私が、アドバイザーになれないと思い込んだのか。
それは、「つながり重視のアドバイス」ができないからです。
自分を大事にしよう、そして学校や結婚制度から出ていいよ。としか言えないからです。
大多数の恋愛指南もそうですし、就活アドバイスもそうですが
ひたすら「集団に合わせる方法」を教える。
それで幸せならいいですけど・・・。
それで幸せになっていない人がいっぱいいるじゃありませんか。
心底、日本人(特に男性)は、溶け合いたがる。
自分をなくしたがる。自分の責任を取りたがらない。
権力者に溶け合うことが最高だと思ってる。
今の政府を見ているとよくわかります。
だもんで、愛、やさしさ、思いやりという言葉を
反社会的な人ほど使うんでしょう。
個人対個人の関係性での思いやりなんかじゃない。
個を失うための思いやり。
村社会で、村人を見張っているのと同じように
家族を見張ってる人がいる。
何をしているの、何を考えてるの、全部つかんでおかないと気が済まないのってちょっと異様に思います。
さて。
これからどっち向いて生きるのが正解だと思っていくのだろう。
わたしは、境界線のある個人と個人でつながりたいです。
村社会にはつながらない。