自由にしたいんだ
こんばんは。。
今日はおやつを作るために材料を買い出しに行ったところ
近所のスーパーでは、生クリームやHMが売り切れていてびっくり。
少し離れたスーパーにはありましたよ。
Twitterやテレビの影響かなあ。
私が、十年以上も前にブログを始めた時は
言葉がいっぱいあふれ出てきて大変でした。
毎日書いても尽きなくて、3年書きつづけました。
それからしばらく、色々なことがあって
「書くこと」が仕事になるのかなあとか
小説の学校に誘われたりだとか
だけど、自分にとっての「書く意味」が見いだせずにいました。
意味がないことには取り組めないよね。
そんな今、ふと心の中から聞こえたのは
「みんなを自由にしたい」という言葉。
親兄弟に限らず、何かに囚われて、経済的な自由や仕事が楽しいという自由はあっても、なんだか窮屈な世界の中であれやこれや言ってるみたいに私には見えていて
「そうじゃないんだけど・・・」というところなんです。
不登校のことを書きだした時、不登校という現象だけに囚われている人たちが大勢いて、治すの治さないの、親に問題があるだの、子どもを病院に連れて行くのなんの・・・全国大会みたいなところに行っても、結局はその堂々巡り。
いや違うんじゃないの?親も子供もそこまで自分自身を追い詰める必要あるの?
フリースクールに行けるだけの家庭だけが解決しちゃうの?おかしいんじゃないの?
って。
この、小さな現実世界では大変なことはたくさん起きてきます。
わたしだって例外ではなく、翻弄され続けています。
だけどね。観えている現実だけが真実じゃないんだ、と思って生きています。
そうすると、現実の大変なことも、大きな視点から見たら意味があることだったり、結果的にそれがプラスに働くことがわかります。
オカルトや精神世界系、哲学系の話が好きなのは
現実を忘れる為ではなく、現実を自由に生きる為なのです。
世界の見方をちょっとずらすだけで
ホントに変わりますから。
単に、現実から目をそらすために、不思議な世界にどっぷり浸かってるだけの人もいるので、私は自分のこの思いをなかなか言えずにいたのかもしれません。
だけど。そういう人たちを観察するのも趣味の一つで(悪趣味w)
なんだかわかってない人たちがわいわいやってるなあ~と思って
眺めています。
なんていうかな、自由になるどころか
自分たちが勝手な価値観を創り上げて、そこに村社会を創り上げていく人たちがいるよね。
「子どもは叩いてもいい」とかね(一例です(^-^;)
それで楽になっていいんだけど、子どもの立場からは反発食らうの当たり前だし、それも受け止められる勇気があってのことだよね?とか呟きますけど。
だから、自分たちの言ってることの意味がわかっていて
それが社会に与える影響もわかって、観えてて、そ~いうことを言うならわかるんですよ。
自分の立ち位置が見えているかどうか、これ大事です。
いいことしてるんだから、いいこと言ってるんだから、自分は間違ってなくて、文句言うほうがおかしい、みたいなのって自由じゃないでしょ。
いいことかどうかはわからない。
ただ、生活が楽しくなって、生きやすくなって、他の人の言動を理解する幅が広がればいいと、私は思うのです。
そのために、妖精も魔法使いもいるんですよ。
昨日、誰かと話したくて占い師に電話したんですけど
「あなたは、幸せになりますよ、じゃなくて、自分で幸せになる人だから」って言われて大笑いしました。
要はそういうことです。
自分で幸せになるためのツールをたくさん持っていればいい。頭の中にも心の中にも。
そのきっかけに、このブログがなればいいなと思うのです。
がんじがらめになっている人の心を自由にしたいんだ。
「あなたはそう思い込んでるみたいだけど、わたしみたいな例外もいるよ?」って。
人を縛るのはいつだって人だから。
誰にも支配されない心を持っていたいね。
ハリーポッターに出てきそうな石の迷路を見つけて興奮。
写真を撮りまくりました!
これもひとりの楽しみ♡