風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

自分が気に入るものを

寒くなりましたね。

仕事が一段落して、ちょっと気が抜けているところです。

 

ああ、買い物行きたい!

 

わたしは、自分が気に入るもの、考え方を取り入れることにしています。

昔は、自分に厳しいものを必死で取り入れようとしたけれど

それはとても自分を傷つけたので、やめました(笑)

なんでいちいち、他人に傷つけられなきゃならんのだ。

 

意味わからんわ。

 

先日、言ってもらった「肉体は不自由でも、魂と心は、以前よりずっと自由に、大きくなっていますよ」という言葉を、私は今、取り入れています。

だからね、それがわからない人(本当はわかるはずなのに)には、近づかないと決めました。

 

人生の残り、苦言聞いて過ごしたくないじゃないですか。

希望を聞いて生きたいじゃないですか。

さんざん、自分を痛めつけた前半の人生を終わらせたいじゃないですか。

 

あれがダメ、ここがダメ、こうしなくちゃしんどいでしょ、と言われたって

あなた、肉体はそれなりに衰えていきます。

諦めとは違う、人生の後半を「どう生きるか」を考えた時

自分に心地よい、継続する元気の出ることをしたいものです。

 

そして、ケアする時も、衰えをマイナスと捉えるのではなくて

ケアすることが楽しみになるようなものにしたい。

 

自分をいぢめることが好きな人は、みんなも同じだと勘違いしちゃうのです。

いぢめられたくないし、いぢめたくないし。

嫌なこと言われて発奮したくないです。

 

それは、あくまでも「お互いの遊び」だけにしましょう(秘密)。

 

学校でも習い事でも部活でも、どこでも。

怒られることがやる気を出すことだ~~~みたいなやり方で上手になってしまうと、それを下の人たちにやっちゃうのでありますよ。

 

どこかでやめたいよね。

 

友人たちとの会話の中で「ある男性の元嫁は、何かにつけて反対する人だったらしい。それがとても嫌だったから、離婚したらしいよ」と言っておりました。

真偽のほどはともかく。反対することが愛だと思っている女性もいるんじゃないだろうか。なんとなく、想像してみました。

 

それもこれも、お互いの好みで、その好みが違ってしまうと、難しくなるものですよね。

反対されて「心配してくれるんだね、ありがとう」と思う男性ならよかったんでしょう。

 

人間関係むずい(^-^;

 

仕事もプライベートも、そこそこストレスがあり、体調は上記のとおり「めっちゃ元気!」ではないです。

だけど、なんだろう、この広い感じ。

自分がどこまでもどこまでも飛べる感覚。

 

「あなたは自分が思うように自分を決定し、創造し、表現し、経験している。」(『神との友情』より)

 

医学ではない場所に行くと、常に言われることがある。

グライディングできていない

流れが悪い。

この二つは、私の中の鉄板です。

 

言っておく。わたしは50年間、インフルエンザにもかからない。

風邪で病院に行くこともほとんどない。頭痛や不眠で薬を飲んだのは、たった数年で、今は何も飲んでいない。

 

けれども、私の身体を診る人は、常に私にダメ出しをするのです。

わたしはその言葉に恐れおののき、自分がいつもできそこないであるように感じてきました。そういう風に自分を「創造しよう」としてしまったのです。

 

今日以降、その意見は使わないと決めました。

というか、それが「悪」だと認識するのをやめました。

治さなきゃいけないもの、とか、治さなきゃ幸せになれない、とか

いい加減、やめようって。

だって私は今、こんなにいい気分なのだから。

 

平和を創る第一歩を始めます。

 

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