自分が気に入るものを
寒くなりましたね。
仕事が一段落して、ちょっと気が抜けているところです。
ああ、買い物行きたい!
わたしは、自分が気に入るもの、考え方を取り入れることにしています。
昔は、自分に厳しいものを必死で取り入れようとしたけれど
それはとても自分を傷つけたので、やめました(笑)
なんでいちいち、他人に傷つけられなきゃならんのだ。
意味わからんわ。
先日、言ってもらった「肉体は不自由でも、魂と心は、以前よりずっと自由に、大きくなっていますよ」という言葉を、私は今、取り入れています。
だからね、それがわからない人(本当はわかるはずなのに)には、近づかないと決めました。
人生の残り、苦言聞いて過ごしたくないじゃないですか。
希望を聞いて生きたいじゃないですか。
さんざん、自分を痛めつけた前半の人生を終わらせたいじゃないですか。
あれがダメ、ここがダメ、こうしなくちゃしんどいでしょ、と言われたって
あなた、肉体はそれなりに衰えていきます。
諦めとは違う、人生の後半を「どう生きるか」を考えた時
自分に心地よい、継続する元気の出ることをしたいものです。
そして、ケアする時も、衰えをマイナスと捉えるのではなくて
ケアすることが楽しみになるようなものにしたい。
自分をいぢめることが好きな人は、みんなも同じだと勘違いしちゃうのです。
いぢめられたくないし、いぢめたくないし。
嫌なこと言われて発奮したくないです。
それは、あくまでも「お互いの遊び」だけにしましょう(秘密)。
学校でも習い事でも部活でも、どこでも。
怒られることがやる気を出すことだ~~~みたいなやり方で上手になってしまうと、それを下の人たちにやっちゃうのでありますよ。
どこかでやめたいよね。
友人たちとの会話の中で「ある男性の元嫁は、何かにつけて反対する人だったらしい。それがとても嫌だったから、離婚したらしいよ」と言っておりました。
真偽のほどはともかく。反対することが愛だと思っている女性もいるんじゃないだろうか。なんとなく、想像してみました。
それもこれも、お互いの好みで、その好みが違ってしまうと、難しくなるものですよね。
反対されて「心配してくれるんだね、ありがとう」と思う男性ならよかったんでしょう。
人間関係むずい(^-^;
仕事もプライベートも、そこそこストレスがあり、体調は上記のとおり「めっちゃ元気!」ではないです。
だけど、なんだろう、この広い感じ。
自分がどこまでもどこまでも飛べる感覚。
「あなたは自分が思うように自分を決定し、創造し、表現し、経験している。」(『神との友情』より)
医学ではない場所に行くと、常に言われることがある。
グライディングできていない
流れが悪い。
この二つは、私の中の鉄板です。
言っておく。わたしは50年間、インフルエンザにもかからない。
風邪で病院に行くこともほとんどない。頭痛や不眠で薬を飲んだのは、たった数年で、今は何も飲んでいない。
けれども、私の身体を診る人は、常に私にダメ出しをするのです。
わたしはその言葉に恐れおののき、自分がいつもできそこないであるように感じてきました。そういう風に自分を「創造しよう」としてしまったのです。
今日以降、その意見は使わないと決めました。
というか、それが「悪」だと認識するのをやめました。
治さなきゃいけないもの、とか、治さなきゃ幸せになれない、とか
いい加減、やめようって。
だって私は今、こんなにいい気分なのだから。
平和を創る第一歩を始めます。