風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

自覚する

なんだか気持ちがくさくさするなあと思ったら

やっぱりPMSだった。

 

それで失う縁もあるけど、それはそれで潔い。

機嫌悪い女性に付き合えない男性とは付き合えない(笑)

 

ずっと「気が付いたら調子悪い」「気が付いたらストレスマックス」の人生だったのですが、最近は早めに気が付くようになりました。

 

なくなるわけではないのがミソ!

 

その都度、気づくだけ。

体動かしたりして逃がすけれど、根本からの解決ではない。

それでいいと思ってる。

 

ここのところ「人間ってそれでいいよね」の心境になってきた。

トラウマをなんとかしなくちゃとか

歪みを取らなきゃとか

そんなことしたら、地球つまんなくない?と思う。

 

そんなに「みんなと同じ地平線」に生きていなければいけないのかな。

 

「こんな風に育ったんで、テヘペロ」でよくないの?

 

同じところで怒って、同じところで笑う人ばかりなんて・・・キモイよね。

 

「そこ、怒るとこ~?」っていうびっくりがあって、はじめて「人は人」と思えるのであって、「怒らないでよ」じゃないでしょ。

 

まあ、自転車で怒りをまき散らしながら走ってるおじいちゃんは困るけどさ。

大阪市内によくいる。歩いててもよくいる。穏やかじゃない人多いよ・・・)

 

日本人に限るのかどうかわからないけれど

人と違う意見を強く言う人を「からかう」とか「冷笑する」文化があるよね。

それで、怒る人を抑えるっていうか。

だから、怒りを怒りとしてとらえられない人が多いし、「お前~怒るなよ~」で済ましちゃって、他人の怒りを認めようとしない。

そやって身を守ってるんだと思うんだけど、それをしているから、自分の怒りを、人の揚げ足を取ることや、マウンティングに換えて行くんだと思う。

 

からかいの文化、マジで嫌いです。

「怒ったって仕方ないやん」という言葉も嫌いです。

 

わたしってそういう人だったなあと思い出してる、ひとつひとつ。

否定してきた「嫌い」を見直しているところです。

 

 

受け付けられないものが増えてきて、大事にできる少しの人と物で生きるのかもしれないわたし。

 

へんこ極まってきましたよ。

 

だから、職場で合わない人がいて当然だし、ストレスでも仕方がないのです。

最小限にする工夫をするしかないわけですし、そういう性質の自分と折り合いをつけるしかないのです。

 

というところにやっと、たどり着いたかな~。

 

「平均値になれ」「ストレスを感じるのはお前自身のせいだ」「変えないとしんどいぞ」と脅され続けた人生にさよなら。

 

変えないし、変わらないし、いいんだこれで。

って、何も悪くないし、何一つ失うものもない。

何にこだわってたんだっけ?

 

「生きづらいでしょ?」の脅しはいらない。

 

生きづらさとは共存するんだよ。それが「ありのまま」だよ。

この日本で、生きづらくない人ってちょっとおかしいということを知っておこう。

 

それが自覚するということ。

 

安全地帯から傍観して、熱くなる人を笑って生きるより

当事者となって暴れたほうが生きてると思う。

エネルギー出してこ!

 

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いつか、これぐらいの強い服を着たいものだと思う。