風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

どんなわたしでも

今日はすべてがひっくり返る日で

予定は全部キャンセルになり

車は渋滞で

どこまでも流される一日だった。

 

朝、部屋を掃除したので、もしかしたらリセットされたのかもしれない。

 

*****

 

人付き合いにおいて

 

「これが正解」と書いてある本があまりにも多いし

すぐに「あなたの人との関わりはどうのこうの」と言う人も多い。

 

幼少期の親子関係に端を発する性格もあるだろう。

 

でも、それがどうしたというのかと、私は思う。

 

「つながり」という言葉自体怪しい。

誰の感じる「つながり」が正しいのかもわからない。

 

あなたの「つながり」とわたしの「つながり」は決して交わらない。

 

理想があるかもしれないが、その理想をなぞったところで

虚しいだけになる可能性だってある。

 

自分で自分をアゲるために、軽く手相占いのコーナーに寄ってみた。

その占い師さんと30分も話をしていないけれど

一瞬で何かが通じた瞬間があった。

 

私にとっての「人間関係」とはそういうものの積み重ねであり

また、日々重ねていく会話の中にも「奇跡的に通じた瞬間」があれば

それだけでいいと思う。

 

他人から見て「愛されているように見える」とか「愛し合ってるふたり」であることに価値を置く世間から、私は一歩離れていたい。

 

幸せそうに見えることと、幸せな瞬間が訪れることは全く違うことだと思っているからだ。

 

自分の中の何かが満たされる時

誰かがそれを目撃することはない。

 

だから、常に「どんなわたしでもいい」と思っていなければ

「他人から見る幸せ」を演じられない自分をかわいそうに思ってしまいそうになる。

 

「見られること」から「自分が感じられること」へのシフトは

簡単なようで難しい。

「見られること」は、当然、自分が自分を観る眼差しでもあるから。

自分自身を「世間の目」と同化させてしまうと、幸せそうなことをしていない自分を否定してしまう。。

 

だから常に、自分を認め、認めてくれる人と出会っていくこと。

 

最近、思うのは、男も女もみな、空っぽみたい。

つながっているように錯覚しなければ、生きてけないぐらいに。

つながりかたも上手じゃない。

誰もがそういう時代を生きてる。

 

一瞬でも心が触れ合える場面を作れたらOKだと思って。

 

そして、馬鹿にされそうになったら、逃げて。

 

どんなわたしでも、どんなあなたでも、それでいい。

 

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