本気で言ってるのか?
朝の冷え込みがバイクに堪えるので、すでにユニクロのライトダウンを着ております。
日中は一切着ないけどね!(しかも夕方半袖)
占いやらセッションやらにお金をつぎ込んできて見えたことは
すべての人が思い込み囚われている、ということでした。
「神様の言葉」だけを伝えてくれる人ならともかく。「私としてこう思う」と言われることは、ことごとく「それ、あなたの価値観ですよね」の範囲内です。
個人としてクライアントと向き合ってお金が取れるのは、きちんとしたカウンセラー(臨床心理士)だけだと私は思います。
それ以外は、自分の体験から語っているだけ。自分の思い込みで創られた世界での「発見」を教えてくれるだけ。
なので、教えてもらえることが、自分にフィットすれば、「これは正当な金額」だと思うし、いやそれ、教えていらんしっていう場合は、「うわ~間違えた~」になりますね。
占いのカードの解釈も然りですが、カードを読むだけなら、だから、自分でできるようになるのが一番かもしれません。
こんなことをなぜ今書くのか。
それは、私自身が、どうも「今の日本全体が幸せだと決めている範囲」からはみ出してんじゃないかという疑いが出てきたからです。
自分を認めていくにつれ、自分を愛するにつれ、「おや?わたしはこのアドバイスは合わないぞ、なんでそれが幸せの基準?」と思うことが増えてきたのです。
ずっと「日本人の平均的考え方」に合わない自分に悩んでいて、そこに「合わせてくれる何か」を探していたような気がしています。
でも、自分の行動を振り返ってみても、自分が何に向かっているかというと「動くことの幸せ」だったり「毎日違う人に出会う楽しみ」であったり。
決して「今日も明日も同じ職場、同じ人間関係が続くこと」を祈っていないんです。
恋愛をたくさんしたいのも、固定した関係を何十年も続けることの閉そく感がダメだから。心が日々動くことがいい。嫌だなあってお互い思いながら一緒にいるなんて無理。
それを「スピリチュアルな手法で”嫌だと思わないようになる”」とかもっと無理。
家族ならいいんです。家族だから。だけど、パートナーを家族として迎え入れるのは無理があるんだなあ。どうしたって恋するじゃん。
離婚してしばらくたった頃、この命題に真剣に向き合ったことがあって、次のパートナーになる人と結婚するなら、私の恋愛を認めてくれる人じゃないと結婚できないなあって思いました。不倫云々じゃないのね。だって、家族と恋人は全く違う。
「あ~デート楽しかった」と思いながら自宅に帰ってひとりで寛ぐ幸せがあったらいい。自由時間、めっちゃ大事。
ひとりで死ぬのは不幸だとか
家族に囲まれるのが幸せとか
めちゃくちゃ家族回帰の風潮があるけれど
そもそもスピってひとりのもので、分かち合えないものなのに
「本気でそれを幸せだと言うつもり?」
どっちを選んでもいいけど、そっちは幸せにならないよっていう脅しをする人がとても多いのね。
「奇跡のコース」はそういうことを一切言わない。
仏教だってほんとはそんなこと言わないのに、みんな、勝手に解釈して、一族のお墓を大事にさせたり、仏壇を親族に世話させたりして。
う~ん、よくわかんない。
合わない人と一緒にいる練習に一生を費やすぐらいなら
自分が大好きで自分を大好きになってくれる人を探しに、歩き回る一生のほうがいい。
旅する間に自分を鍛えて、人を笑顔にする技術を蓄えて、多くの人に会ってみて、楽しい会話をたくさんしていたい。
それって、みんなが心の奥底で思ってる「幸せ」とは違うと思うんだ。
今私は、自分を作り始めています。
どこにいっても誰と出会っても大丈夫なように。
「この家で守られながら、ちょこちょこな幸せで満足」という生き方ができないから。
バージョンアップ常にしていきたいのです。
合わない人に怒られても凹まないメンタルを。
凛とした身体づくりを。
それは、この日本で守られて暮らすためではない。
守られる幸せを求めてるわけではないから。
どこまでも飛べるように。