ホームのクリームパン
中之島にある中央公会堂の近くを歩いていた。
月の光がまぶしい。
明日は満月だったことを思い出した。
ある問題を解決すべく、休日の夜に大阪にやってきた。
晩御飯を食べていなかったので、帰りにスーパーに入ったのだが、
何を買っていいのかわからないぐらい疲れていた。
心細くなる時はたいていお腹が空いている時。
一番大好きなクリームパンを食べようと決めた。
心細い子どものような気持ちになっているのだから
その子どもが食べたがっているものを食べたほうがいい。
ホームで一人、クリームパンを食べた。
上品なスーパーのクリームパンの味だねえとじっくり味わって食べた。
心細さはいつの間にか消滅した。
ここのところ、立て続けに問題が起きた。
そのおかげで、知識が増えていく。
解決に向けてやればやるほど、自分の中にできることが増えていく。
なんでわたしだけ?どうしてこんなことを?と思い悩むことがなくなって
淡々とできるようになった。
物事に取り組む時に越えられなかった「大変!!!」という壁が低くなったのかもしれない。
私は感情的な生き物である。
嫌なことは我慢できない。
それ故、冷静に対処することが難しい人間だと自分で思い込んでいた。
けれど、それは全くの見当違いで、感情は感情のまま認め、事務作業は事務作業としてやればいいのだ。
相手を気持ち的にやり込めたいという時期は過ぎた。
相手をやり込めたいと思う時、それは自分の感情を否定している時である。
わかりにくいかもしれないが、「怒ってはいけない」「憎んではいけない」と思えば思うほど、自分を正当化しなくてはならず、相手をやり込めて間違いを正さなければと思ってしまう。
怒ってもいい、憎んでもいい、嫌ってもいいと思えると、別に上に立つ必要がないのである。
とても冷静に相手を観察することができるようになる。
「怒ってる自分は最低」と思っていた頃、「冷静になれ」と言われると反発したし、「怒るな」と言われると「じゃあ、好きにならなきゃいけないのか」と悩んだりした。
冷静になれる人は、自分の怒りを認められる人だ。
相手を愛さなくても、怒りを減らすことはできる。
私が抱いていた「怒らない人」の幻想がなくなって、無理やり人を好きになる必要なんてないし、嫌いな人は嫌いでいいし、怒ってもキレてもいいよねって思ったら
相手に気持ちをかけることが馬鹿らしくなってきた。
いつまでも嫌いな相手のことを考えているよりも、自分が面白いことや楽しいことに時間を使いたい。ただし、相手にやられたことは必ず返してあげるのが私の流儀である。
もらいっぱなしは嫌なので(^-^;
今回、罪悪感というものが、いかに人をダメにするかということがわかった。
罪悪感を抱かせるような説教や、間違ったアドバイスは最低なのだよ。
結婚中や育児中にたくさん持っていた罪悪感がぼろぼろと剥がれていくに従って
わたしはどんどんわたしになっていく。
反省することはあっても「あんなことをしてしまった私は最低」だの「私が悪いのね」という思考はしない。
堂々と間違って、堂々と反省し、堂々と次へ行けばいい。
ちなみに、私の大好物はクリームパンと黒糖パンです。
機嫌を損ねたら食べさせてあげてください。