人生の主役はわたし
台風真っ最中。
我が家から見た夕方の空。
沈む太陽から空に伸びる、白い雲のようなもの。
朝、電車に乗ったら「今日は4時から本数を減らします」というアナウンスがあった。
帰れなくなったら困ると思い、2時間ほど早く帰らせてもらうことにした。
子どもの頃は台風が来るとわくわくしたものだ。
今の子たちは知らないけれど、木の雨戸を閉めて、それがガタガタいうぐらいに揺れて
ドキドキしながら眠りについた。
大阪に来る台風は、たいがい夜のうちに行ってしまう。
公務員の父は、夜に役所に行ってしまう。そんな時代があった。
夕食を食べながらテレビを見ていたら
大阪駅が何度もテレビに映っていたから「私ももうちょっと遅くに大阪駅に行けばよかった」と言って息子に笑われた。
夜になる前に電車が止まりそうだったから、多くの働き人達が早く帰ったのだろう。
どうか、被害が少なく済みますように。
不思議なこと。
いつの間にか、苦手だった相手が、私の中で小さくなっていった。
この間まで、本気で嫌いだったのに、どうでもいい人になった。
私は人を好きになりすぎる傾向がある。
それ故、誰かを理解しようとする時、心の壁をかなり低く設定してしまう。
相手にも好きになってもらいたいという努力だと自分では思っていた。
そのため、相手がどうにもこうにも理解の範疇を越えた時、自分を責めている自分がいた。
今は言えないが、トラブルに巻き込まれた。
その件を通してわかったことが、心の壁を低くして、相手に侵入されると、困ったことになるよということだった。
自分を守るために、相手との境界線をきちんと引きなさいと神様に言われた。
実は、母と私は共依存で、人との距離感がよくわからない状態で生きていた。
仲良くなるためには、理解してもらうためには、自分を丸ごと投げ出してしまわないといけないと思っていた。
自分を下げて相手を上げるのが、私の最初のアクションになっていたことに、何十年も気づいていなかった。
だけど、もうそんなことをしなくても、十分私はみんなに愛されていて
誰かに低く見られる必要などどこにもないのだと「決めた」。
私を大切にしない人に優しくする必要などない。
相手の甘えを受け入れる余地はどこにもない。
私は自分自身のことで精いっぱいであり、自分を楽しませることに時間を使うべきだと思った。
そしたら今日、私の世界は変わった。
私の心を乱す「嫌いな人」はいなくなり、「なんだかよくわからない人」がそこにいた。
一人芝居をやってるように見えた。誰もが「困った人だな」と思いながら笑顔でやり過ごしているのがありありとわかった。以前は、その人が大きな影響力を持っているように見えていたのに。小さな普通の人だった。
人生の主役は私であり、他人はみんな脇役に過ぎない。
脇役を生かすも殺すも自分次第ってことだ。
やってしまえ!(笑)
誰かを主役に見立てて、自分を脇役だと思っていれば、人生は文句だらけになる。
あいつはどうだ、こいつはこうだと口先ばかりの人生になる。
そうじゃない。
私が主役を張って生きるんだ。その人を必要とするかしないかは私が決める。
自分が自分の味方である限り、孤独にはなり得ないのだから。
台風にわくわくした私は、今、人生の大波にわくわくしている。
何が来るんだろう、どういう人が何をしに来るんだろうと。
そして、過ぎ去ってしまえば、すべてが思い出になるだけだから
やりたいようにやればよい。