風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

なんでも楽しんだらいいよ

何度か読み直しているはずなんだけど

また、読むと、今の私の考え方の元になってることが

全部ここにあったという、衝撃の本がこちら。

 

 瞑想法アリ、フェミニズムあり、東洋医学アリ・・・

そして何よりも明るく楽しい!

なんとなく、共通するものを感じるんです。

このアバウトに見せかけることができるほがらかさ。

 

「今を変えれば、過去も幸せに変わる」って書いてあったよ。

わたしは、これを体感するのに長い間かかったけど。

昔読んだ時は信じられなかったなあ。

 

過去のことって段階があって。

1.親をかばいたいために、自分の感情には蓋をして、楽しい記憶だけ覚えている。

もしくは、自分が間違った、悪かったという思いだけでいっぱい。

2.あれ?親がおかしかったのかな、と気づき始め、親の問題に取り組み始める。

3.親に問題があったことを認めていく←ここ、難しいよね。他人が「親に酷いこと言うなんて」って言ってくる段階だから。そこ、越えて行かなきゃ次に進めない。

4.親も人間であることがわかる。親の成育歴まで観れるようになり、自分自身についての洞察が「脅えなくても」できるようになる。

自分の感情、怒りや悲しみや寂しさは間違ってなかったと認めることは、親に対する冒とくだと信じている場合があって、そうすると、本当の自分の気持ちにいつまでも気づけない。

5.怒りや悲しみや寂しさがわいてきて、罪悪感も同時にやってきてとても辛い段階

6.全部が自分の人生に必要なことだったとわかる。親に対する感情も変わってくる。

7.過去の記憶が明るくなってくる。

 

私の場合、こんな段階を踏んできました~というまとめです。

 

当てはまらない人もいるかもしれないし、一足飛びで出来ちゃう人もいるかもしれないけどね。

 

それはともかく。

 

私がいつも不思議だったのは、勉強にしろ習い事にしろ、文句ばっかり言ってるクラスメイトたちでした。

楽しめばいいのにって思ってました。

中学生の時には、放火があるほどの荒れた学校でしたが、わたしは図書室に籠って本を読むことができる楽しみや、吹奏楽部で演奏する楽しみがありました。

育児もそうです。

息子はアレルギーで、市販のお菓子が食べれず、離乳食もほぼ手作りしていましたが、(仕事してたよ~共働きだよ~)そういう工夫は楽しかったです。

保育園でも、役員をして運動会を仕切ったこともあります。

不登校の時も、どうしたら楽しくなるかをいつも考えていました。

 

しんどいことも多かったし、泣いたし、ふさぎ込んだ日もあるし、鬱で寝込んで病院通いの時期もあったけど、だけど、それで人生終わりたくなかった。楽しいことで埋めたかったんです。

 

ただ、わたしには、世間を眺めて比べてしまう癖があって

文句ばっかり言ってた人たちが、普通に結婚してまた文句言いながら幸せな子育て(学校行ってたり、楽な育児だったりね)してるのを見ると、混乱しました。

スピ業界では「感謝」だとか「文句を言わない」を奨励しているけれど、結局のところ、愚痴ばっかり言ってる人でも幸せそうじゃない?

生活を工夫して楽しもうとしているわたしには、逆に怒鳴り込んでくる人はいるわ、子どもは思うように育たないわ、夫の愚痴も言わないようにしてるのにうまくいかないわ、鬱になるわ、・・・どうしてよ?と

そこがもう、認められないところでした。

 

今思うと、楽しむ自分をもっと、自分自身が認めて褒めて、すごいね、やるね、さすがだね、って言ってあげればよかったんだけど。

誰かに認めてほしかったのよね。

 

それでも、普通に精神力タフなので(たぶん・・・)

鬱になっても薬は自分で捨ててしまうし(真似しちゃだめです)

離婚しても恋愛しちゃうし

何度失恋しても蘇る不死鳥だし(笑)

就職先で何度嫌な目に遭っても懲りないし

子どもたちが何してるかよくわかってないし

 

そういう私を見て、悩んでいるところを探したい人は山ほどいて

「あなたはそのままではいけない」と多方面からどれだけの突っ込みを受けたことか。

そのたびに、自信を失ってはまた復活するということを繰り返してきました。

 

私が知りたかったのは、私の本質って何?どうしてこんなにひっくり返ってしまうの?という謎でした。自分なりに頑張ってるのになあって。

それまでは言語化できなくて、親が~息子が~夫が~彼が~体調が~仕事が~みたいな相談でごまかしていたんですよね。

だって、日常を相談するテイでないと、その手の人たちと話ができないのでね。

 

それで、みなさん、「あなたは問題だらけ」だとか「父親や母親と拗れてるから良くないんだ、あなたのその考え方がひどすぎる」だとか、もう散々言い散らかしてくださいました。お金払って私の悪いことしか言われないんだ、と悲しくなりました。

 

もういいわ。自分でやるわ。となり、本を読み漁り、YouTubeを見て、今に至るわけですが・・長いね。

 

そりゃ人間ですから、色々あります。

めんどくさい感情も残ってるし、善人にはなれませんし、感謝が足りないと言われてもはいそうですね、という感じです。

で?それが?みたいな今になりました。

 

いやだって、人生楽しいよ?

毎日死にたい、消えたい、さあどうやって飛び降りようかと考えてた日々はどこかへ行ってしまった。

内面の課題がどれだけあるかわからないけど、少なくとも、これまで色々楽しんで身に着けてきたあれやこれやのおかげで、生活に喜びを見つけることは簡単です。

 

あとは、農作物をちゃんと作ってみたいな、それだけは土地がないからまだやってない。ベランダで芋育てたことあるけど(笑)

 

この、えらく楽観的でお調子者で、へらへらしちゃう自分は変えられないし

それを見てイラッとされてしまうんだろうなということはわかりました。

だから、悩んでいるように見えないんだよね。どん底にいた時も保育園の人は知らなかったと思う~。

 

この世界を思いっきり楽しむために私は生まれたのだと信じているので

今の政治や制度に言いたいことを言うのも、そのひとつなんです。

小学生の頃から、わたし、考え方変わってないですよ。教師に対しても、政治家に対しても。その程度の本はずっと読んでいましたから。

 

楽しいことと、生きていて「なんだか変だな、苦しいな」と思うことは両立しているし、苦しいことがあるなら、変えていけばいいじゃないですか!

 

学校に行く仕事をしている時、しんどそうな小学生にたくさん出会いました。

何もしてあげられなかったから、「がんばれ」って心の中でエールを送っていました。

笑顔を送りました。

 

そういうと「本当は傷ついてないんだよ、子ども達はかわいそうじゃないよ」とか言ってくる人がいるのは知ってますw

わたしが言いたいのはそこじゃないんだけどね。

 

もういいよね。我慢とか、命令とか支配とか。やめたいね。

なんとなく、楽しくないものがあるのなら、少しでも取り除くことを考えてみてもいいと思うの。子どもたちを不幸認定しているわけじゃないのよ。この違い、わかるかな?

 

今日はチャイプリンと、煮豚が上手にできたのでご機嫌でした。

 

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