風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

伝える

雨だと聞いていたのに

気持ちよく(でもないかw)晴れている。

 

家の中にはイチゴジャムを炊く香りが充満していて

春を先取りしているかのようだ。

 

パソコンの隣にあるのは、ウェイリー版の源氏物語を翻訳したもので

数日前に買う決心をしたところである。

名前がすべてカタカナ表記だったり、帝=エンペラー、神無月=ゴッドレス・マンスといった訳を楽しみつつ、海外の人が味わった感覚を得るような気がして、読み進めるのが楽しみなのだ。

 

世間では、不倫騒動がまたにぎわっているのも

源氏物語の時代から変わらないものを感じる。

日本というのは、どこまでも男に甘い。

紫式部が描いた女性の悲しみや苦しみは、今もなお、引き継がれているのが

なんとも言えない。1000年経ちましたけど?みたいなね。

 

さて。

 

そんな中、わたしは、新しい趣味を加えつつ

相変わらずひとりで大騒ぎしながら生きています。

 

ひとり大騒ぎも、上から見てみれば楽しいのですが

なかなかに肉体を痛めることもある。

そろそろ、自分のこの性格で遊べたらいいのだろうとおもうところです。

 

私がこうして文章で何かを伝えたがるのは

いわゆるコミュ障であり、話下手であることが発端です。

どうも、言ってることが伝わらない。

好意的に受け取っていただけない。

その理由がわからなくて、結局悲しくなって諦めることのほうが

多い人生でした(諦めるってね、泣いてうじうじするだけじゃなくて

キレてしまって放り投げることも含めてです)。

 

しかし、こうして文章が書けるようになり

少なからず読んでくれる人がいて

私はようやく、生きている心地がするようになりました。

そして、口に出して話すことも、理解してもらえる機会も徐々に増えてきました。

 

私が思っていることや感じていることは

「かみ砕かないと伝わらない」のです。

「そうだよね?」「そうだよ!」という同じ速さで気持ちが伝わる人は少ない。

Twitterをやるようになって、やっと「あ、この人は同じスピードで理解できる人だ」と見つけられるようになりましたが

近所にはいないもんです。

 

あまりにも伝わらない経験をしたために(親も含めて)

諦めることを選びがちだった私が

ようやく「諦めずに伝えること」を選ぶことにしました。

 

年の功、かもしれませんね。

わかってもらえないことに傷つかずに済むし

わかってもらえない人に執着しなくても生きていけることも知りましたし。

 

人と関わるのが実はとても好きなのかもと思い始めています。

 

いわゆる表現(歌でも絵でも)は、すべて「伝えること」

人と関わることで癒されてきた自分の、もっとも奥底にある「伝えたいこと」を

これからは伝えていけたらいいなと思います。

 

次は、人と関わることで癒されること、について書きましょう。

褒められたり友達になることだけが癒されることではなくて

嫌な経験をすることで癒される傷もある、ということを。

 

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切り株ってなんとなく、絵本のイメージ。