風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

ギフト

成人の日ですね。

お天気で良かったなあと思ってたら

多くの自治体では昨日だったらしい。

梅田に出てたけど、振り袖姿はあまり見かけませんでしたので

気付きませんでした。

 

バーゲン怖いです(笑)

梅田のリンクスっていうところに行ってきたのですが

いいお店を見つけてしまい、半額セールに引き付けられて

ついつい・・・。

 

ただ、最近は自分が本当に欲しいものがわかってきたようで

買った後の後悔が減りました。

好きなものが側にある幸せッたらね!

 

で。

 

ギフトの話です。

 

とても困難な日々が続いていた時に

あるセッションで「感情を味わい尽くしなさい」ということを言われて

ひーひー言いながらも悲しい時は悲しみを

寂しい時は寂しさを、消そうとせずに味わうことを続けていました。

 

でね。

 

最近「既読スルー」に悩まされ始めたんですよ。

そもそもわたし、無視されることが多い人生でして(笑)

元夫もそうだし、なんていうか、返事くれないってことがね。

 

それで、昔なら「既読スルーされることは失礼である」「既読スルーされないいい女にならなきゃいけない」っていう思考しかなかったんです。

舐められないようになりたいって。

しかも、人からのアドバイスってそういう結論でしょ?

「あなたに問題があるからだ」「あなたが変わればそんな現象は起きない」みたいな。

 

でも、違ったんですよね。

私に問題はなかった。

問題は、「既読スルーされた時に湧いてくる感情」だったんです。

わたしにそれを気づかせるために、わざわざそういう人物に出会わせてくれるっていうか・・・。

 

前は「寂しい」「舐められてる?」「しんどい」「待ちたくない」等々、マイナスな感情が次から次へとやってきて、それだけで精神力ぜろ~になっておりました。

 

だけど、ようやくこのマイナスな感情を切り離すことができるようになったんです。

だって、わたしは悪くない(笑)

わたしに何の問題もない。

どうして寂しいく思っちゃうんだろうね、どうして軽く思われてる~とか思っちゃうんだろうね、かわいいね、わたし(#^^#)みたいな感覚に変化してきました。

 

そうやって、感情を適当にあしらえるようになると

「ああ、そうか、問題はこの感情のトリセツを学ぶために起きたんだ」ということがわかります。

別に「既読スルーされない女」になるためじゃないんですよ~~~

そこ、勘違いしたらしんどいよ!

 

わたしにとって、もっともしいんどい感情(これは人によって違うので、だから、人によって様々な問題が発生してくれるんだけどね)を何度も味わうことで、「いやそれ、もういらないから、味合わなくていいから」っていうことなんですよ。

 

昔にやり残した課題を見せてくれてる感覚。やったら終わりです(*´ω`*)

 

そしたら、同じことが起きても、その感情は湧き上がってこなくなる。徐々にね。

 

ほんっとに、この「無視され問題」が私の大きな課題でした。

それが今回の既読スルーに際してやっと、目が覚めるように理解できました。

相手には「ありがとう」の想いしかありません。

 

最近の、引き寄せだの自己責任論だのが大きく間違えているのはここだと思うのです。

「嫌なことが起きない自分になる」ことを求めすぎ。

そうじゃなくてね、嫌だと思っていたことが、実は、そういう捉え方しなくていいよということが「わかること」です。

 

「問題はそこじゃない」

 

自分が変われば嫌な人がいなくなるとか、嫌なことが起きなくなるっていうアドバイスはとっても罪です。

 

問題の捉え方が変わるんです。

それが人生を変えていくんです。

 

わたしは、寂しさを味わった時、昔のように自分を責めなくなりました。

自分が悪いから寂しくなるんだ、と思うことがなくなりました。

そしたら、寂しく思っていた出来事が、寂しく思わない出来事として認知されるようになります。結果、寂しい思いを「させられなくなった」になる。

 

私など「子どもと離れて寂しいでしょ」と言われることがめちゃくちゃ多いんですけど、そう思ってる人って、自分の子どもが独立した時や、会いに来てくれなくなった時「子どものせいで寂しくさせられた、寂しい、寂しい」って言うよね、きっと。

 

私にとっては、子どもと離れて暮らすことは何一つ寂しくない。

だから、それはちっともダメージにならないわけです。

だけど、既読スルーはとても辛い。

この感覚です。人によって違う。だから、出来事が自分を決めてるわけではないのですよ。すべて、自分が「どう感じるか」に依るのです。

 

子どもと別れることを「悲しい出来事」と捉える人もいれば

「嬉しいこと」と捉える人もいる。

それが悲しい人にとっては、一生子どもと別れない人生こそが最善である、になるし、嬉しい人にとっては、子どもと別れることが幸せになる。

さあ、どっちの結論が正しいと思います?

 

どっちも「子どもが独立して親から離れる」事実に変わりはないんです。

 

自分にとって「都合のいい人生になること」が引き寄せなんでしょうか?

それが幸せな人生なんでしょうか?

 

なんかね、そうじゃないと思うんだよね、今の私はね。

 

「私が幸せである」ことについて、現実はそんなに関係ない。

「起きること」と「負の感情」がリンクした時だけ、「しんどいな」と思うのであって、負の感情がわかなければ、別にどうってことなかったりするでしょ。

 

思い通りにできるのは自分の感情だけなんだろうなあと思います。

現実は思い通りにならないものだし、そもそも「思い通り」ってエゴそのものじゃん。

 

何が起きても、どんなことになっても、「私はどうありたいか」「どういう存在としてこの世界にいるのか」だけな気がします。

 

そして今!勉強する自分になるかならないかが問われているのです_| ̄|○

 

どうするわたし!(爆←そこ~~~

 

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地元の駅に設置されてる♡