覚悟ってそういうこと
雨模様ですが、すっきりした昼下がり。
正月に貯めこんだ食材も尽きて、買い物に行きました。
大好きなコブクロなんですが
よくよく「好きな歌詞」を見ると
かなり厳しめ(笑)
「閉じた扉叩き潰していこう君の未来のほうへ」だの
「踏みつぶされて枯れるような半端な決意じゃそこには咲けない」だの
もうこれらの歌詞を励みにして乗り越えてきた日々でしたけれども。
どんだけ潰されてんだ~~~
そうやって自分を鍛えてきた結果。
甘やかされる関係性は必要ではなくなり
自分がどれぐらい人間として成長していけるかに
目標が変化しました。
自分があまりにも人を受け入れすぎるとか
理解しすぎるとか
境界線を引かずに優しくしすぎるとかで
自分をぼっこぼこに傷つけてきたわけですが
それを避けるための「甘え上手になる」とか「人に頼ってみる」とかいうノウハウなど本当は必要なくて、
「もっともっと本気の、大きな懐になる」ほうがずっと私らしいということが
やっと腑に落ちましたよね。
甘えられないことに悩むのではなく、だったらこの関係をどうしたら楽しい?とかね。
甘えられなくてキレて終わる、みたいなことが多かった私ですが
いやいや、甘えさせてくれなくても、私のことを嫌ってるわけじゃないし・・・ということに気が付きました。
世の中「甘やかしてくれない人は、あなたを愛していない」という定義づけを勝手にする人が多い(みんなそう思いたいんだろう)けれど、そもそも、人を大事に思うということ自体、全員の感性が違うんです。
お互いの距離感が適切であれば、べたべたしなくてもいいんだよね。
私にとって必要な人だと思えば、私は自分の経験値からどのようにでもできる。
そう思えるのは、ぼこぼこにされた経験があるから。
そもそも、家族であっても、世界の端と端に生きてさえいれば、愛を届けられるつもりでいられる私なので、「同じ家にいる」ことが絶対条件ではない。
それはそれ、そのような縁がある人とそうなるだろうし、そうじゃない人とは、離れたところでお互いの存在を認め合うだろうと思うんです。
わたしは、そういう生き方ができる。
一緒にいてくれないと、とか、世間にアピールできる彼氏がいないと、とかいう価値観でしか測れないパートナーシップを超えていける。
それが私の覚悟だと思ったのが、ここ最近のこと。
寂しさに耐えられるという意味でもなくね。
もう子育て終わったのでね。共同生活や共同作業の必要がない今は、自分が拡大していくことで人間関係を増やす時期。
アラフィフの強みはそういうところです。
経験値があって、受け入れる人かどうかの見極めもできて、好きな人にはなんとでもできる。変な男にしがみつく必要がないという精神性はほんとに自由で良きですよ。
とことんいい人になります。
とことん嫌な人にもなります。
自分を自在に操って生きていきます。
新年の覚悟でした(#^^#)
いちじくと栗のアイス。最高。