動ける時に
昨日は、このトークイベントに行ってきた。
会場は、ふつ~のカフェのない、夜の街にある。
目的があれな花屋とか、お姉さんたちが着る服屋とか
呼び込みのお兄さんの間を歩きながら到着。
そもそも、はらだ有彩さんの著書『日本のヤバい女の子』を読んで衝撃を受けたのが始まりで、大阪でトークイベントがあるとTwitterで見かけたので参加することにした。
『日本のヤバい女の子』を読むと「ほんまそれ!」のオンパレードだ。
これまで、自分の中で言葉にできなかった気持ちが、これでもかと書かれているのが嬉しいのと、イラストがキュートで見ているだけでも楽しいのだ。
「生きて存在していること。自分が許可していないナンセンスなシナリオによって陳腐な変化をさせられてしまわないこと。勝手に幕を下ろさせないこと。」(トヨウケヒメの章。200P)
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昨日のトークライブでも、はらださんがなんどもおっしゃってたのはこのことだと勝手に思ってるのだけど。
誰かの都合のいい筋書きに、自分の人生を乗っ取られてたまるか!と憤慨し、抵抗していた自分がここにいる!みたいな感覚になる。
そんなわけで(ざっくり!)昨晩、ロフトプラスワンに行ったのだが
お相手の畑中章宏さんのお話もよかった。
柳田邦男の遠野物語に惹かれて岩手を旅行したこともあるわたし。
この講義が毎週あればいいのにと思うほどだった。
心斎橋のどこかのホテルに泊まるつもりで来ればよかったと思ったが後の祭り。
10時半に終了したので、サインしていただく間もなく、会場を飛び出した。
さすがに今朝は眠くて大変だったけど
動ける時に動くのが大事だとよくわかった。
経験は血肉になる。
明日、第二作がうちに来る。
わたしは天邪鬼でもあるのだろう。
不登校支援のボランティアをやっていた時は「不登校関係でがんばってほしい」と思われてたし、小さい頃は「いいお姉ちゃんでいてほしい」と思われてたし、「長女として生きてくれ」だったし、子どもを産んだら産んだで「母親としての一生」を期待された。
そういうの、全部やめてきた。
他人から押し付けられた筋書きを生きるのはマジ勘弁して!と思うから。
やめなくていいじゃん、って思うかもしれないが
なんだか気持ち悪いのだ。「あの人の言葉通りになってる」ってのが。
「数年後に本が売れるよ!」っていう押し売り予言ならいつでも受け付けるんだけどな(笑)
それでも、「数年とか勝手に決めるな」って二年後に売れたい・・・ぐらいの天邪鬼ではある。
オチがないけど、そんなところだ。
写メってみた。
一番前の席。豚丼食べた後がある。
こんな講義ばっかりだったら大学楽しいのにな。
笑いっぱなしだった。
真面目な話も面白かった。
わたしは、昔から、カッパも天狗も神様も仏さまも龍も何もかも信じてるけれど、誰の頭の中にあるわけでもないということも知ってる。
その感覚が、目に視えないモノとの距離感が、このお二人と近いところにあるからだと思う、語られることがすっと心に入ってくる感じがあった。
この違和感のなさを、もっともっと大事にしていかなあかん。
違和感のある方へ、ある方へ、自分を導く癖があった。
それも大事だけど。
さて。
大阪にやってきたウィーンモダン展、いつ行こうかな。