ほんもののやさしさって
わたしのこの一週間ほどの眠気の正体これでした。
私も信じたくないですが、地震の前は異常な眠気に襲われます。
久々に仕事に行くと、朝から不機嫌な上司。
モラ体質だということはわかってるんですけど
職場の雰囲気がぴりぴりしててすぐに外に出ました。
わたしはずっと「やさしい」ということを考え続けてきました。
学校はやさしくない。
先生はいじわる。
いじわるな先生を慕うクラスメイト。
地域もやさしくない。
いつも監視している人がいる。
やさしいことは、海外の小説の中にしか存在していませんでした。
宗教は愛を定義しているから、やさしいのかなあと思って
近づいてみたけれど
どうもやさしくありませんでした。
いろんなものを一度は受け入れたいと思って生きてました。
夫の好きなもの、子どもの好きなものを
受け入れることがわたしの当たり前でした。
だけど、ほんとうは、昆虫も嫌いだったし、夫がボランティアで大道芸するのも嫌いでした。
そんな小さな自分の声に気づけないほど、
わたしは、やさしくない周囲に合わせてやさしくなりたいと思っていました。
一度飲み込んでから、好きか嫌いか決めよう。
私の信条です。
今もその気持ちに変わりないです。
食べず嫌いはしません。
ただ、嫌いなものを「嫌です」と言おうと思います。
それがやさしさだったと知りました。
わたしが「嫌です」と言うと、「え?飲み込んでくれたじゃん」と不機嫌になります。
そんなに見た目や何かですぐに判断できるほど、単純なものでできているのでしょうか。私の中で明確な「嫌い」になるまでは保留したいのです。
わたしは、あらゆることに四苦八苦しました。
だから、四苦八苦してもダイジョブだと知っています。
どんな状態の人でも大丈夫なのです。
コントロールはやさしくないです。
こうしたほうがいい、こっちに違いない、というのは
自分の頭で描いた道筋で、相手の道筋ではないのです。
やさしくない言葉で相手を責める時、あなたはどういう気持ちですか。
せめて選ばせるというやさしさをもてませんか。
「○○は△△である」ということに真実はありません。
「○○は△△かもしれない」に過ぎません。
やさしいってなんだろうね。
わたしはわたしにやさしくすることに決めました。