風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

ほんもののやさしさって

今朝、近所が震源地の地震があった模様。

 

わたしのこの一週間ほどの眠気の正体これでした。

私も信じたくないですが、地震の前は異常な眠気に襲われます。

 

久々に仕事に行くと、朝から不機嫌な上司。

モラ体質だということはわかってるんですけど

職場の雰囲気がぴりぴりしててすぐに外に出ました。

 

わたしはずっと「やさしい」ということを考え続けてきました。

学校はやさしくない。

先生はいじわる。

いじわるな先生を慕うクラスメイト。

地域もやさしくない。

いつも監視している人がいる。

やさしいことは、海外の小説の中にしか存在していませんでした。

 

宗教は愛を定義しているから、やさしいのかなあと思って

近づいてみたけれど

どうもやさしくありませんでした。

 

いろんなものを一度は受け入れたいと思って生きてました。

夫の好きなもの、子どもの好きなものを

受け入れることがわたしの当たり前でした。

だけど、ほんとうは、昆虫も嫌いだったし、夫がボランティアで大道芸するのも嫌いでした。

そんな小さな自分の声に気づけないほど、

わたしは、やさしくない周囲に合わせてやさしくなりたいと思っていました。

 

一度飲み込んでから、好きか嫌いか決めよう。

私の信条です。

今もその気持ちに変わりないです。

食べず嫌いはしません。

 

ただ、嫌いなものを「嫌です」と言おうと思います。

 

それがやさしさだったと知りました。

 

わたしが「嫌です」と言うと、「え?飲み込んでくれたじゃん」と不機嫌になります。

そんなに見た目や何かですぐに判断できるほど、単純なものでできているのでしょうか。私の中で明確な「嫌い」になるまでは保留したいのです。

 

わたしは、あらゆることに四苦八苦しました。

だから、四苦八苦してもダイジョブだと知っています。

どんな状態の人でも大丈夫なのです。

 

コントロールはやさしくないです。

こうしたほうがいい、こっちに違いない、というのは

自分の頭で描いた道筋で、相手の道筋ではないのです。

やさしくない言葉で相手を責める時、あなたはどういう気持ちですか。

 

せめて選ばせるというやさしさをもてませんか。

 

 

「○○は△△である」ということに真実はありません。

「○○は△△かもしれない」に過ぎません。

 

やさしいってなんだろうね。

 

わたしはわたしにやさしくすることに決めました。

 

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