トラウマというもの
雨が降っている。
台風の影響はほとんどなく、しかし、どこかの街で看板が倒れているのを見ると、去年のことを思い出して胸が痛くなる。
大変なのは台風が過ぎた後だ。
台風の間だけはテレビは被害を映すけれど、壊れたものを直さなければならないことのほうがずっと困難なのだから。
一日、寝たり起きたりして過ごした。
低気圧のせいなのか、風邪をひいたのかわからない。
こうしてゆっくりできることは幸せなのかもしれない。
ちょっと前に、Twitterで話題になっていた鯖缶で作ったカレーが冷凍庫にあった。
レシピ通りに作ると少し塩辛すぎて残ってしまったのだ。
今日はそこに、ニンジンジュースとマンゴーエキスを加えて味を変えてみた。
とてもまろやかになり、息子はお代わりをした。
料理の技を磨くことは、自分を救うと思う。
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わたしはかつて、自分に自信がなかった。
自分の考えというものが、世間に受け入れられないと固く信じていた。
今となっては信じられないけれど。
今はなんとなく、その理由がわかるのだ。
私と「合わない」人たちが、トラウマと戦っていたからだ。
トラウマを克服するために、必死でマウンティングをする。
男であれ女であれ、同じだった。
ある男性が維新を推す理由は橋下徹の、成育歴にぐっとくるからと言う。
(男性ってマジで感情的だからね。理論でもなく、ただ感動しただけで政党選ぶからなあ。びっくりするよね。)
その人も複雑な生い立ちを抱えていた。
キツイことを言うのもわかるらしい。「仕方がないよ、あんな風に育ったら」と彼は言った。
政治を任せる理由がそこ?と驚くほかなかったのだけれど
だからって、私は彼の話を聞いて「そうなの?私も維新応援する!はーと!」なんていう気持ちには一切ならない。トラウマ怖いなあと思った。
集団という家族を作り、ムラを作り、自分の気に入らない人たちは、自分がやられたのと同じようにやっつけようとする。自分たちに従わないものを粛正しようとするのは、昔自分が迫害されたからであろう。
結局、きちんとカウンセリングを受けず、自分の闇と向き合ったつもりになって、他人を貶めることしかできなくなる人がたくさんいる。
自分が不思議な力に目覚めたという理由で(いい学校に行って選挙に出て、選ばれたというのと同じだね)特別意識の虜になり、自分のやってることを正義とする。
「日本が日本が」と言ってる人たちに共通するのは
どこかで自分が迫害されてきた、と思い込んている様子が見られることである。
「日本を変える」と言うけれど、日本の闇(加害性)と向き合わずに何が変えれるというのだろう。
「いつまでも被害者意識でいるのは間違いだ!」と叫ぶ人ほど、被害者意識に囚われていて、自分のやってることに向き合えていないのではないだろうか。
相手が被害者意識に囚われているのを見ると、自分を観るようで不愉快なんだろう。
過去の戦争も、自分の過去も、辛すぎて見れなくなっていて
他人にその影を見るだけで脅えて攻撃する。
自己責任論ってそういうもんじゃないのかな。
自分で自分を愛するのも大切だ。
けれど、もっともっと「大変だったよね」とお互いに慰めあって、傷を癒す必要があるのではないだろうかと思う今日この頃だ。
「あなたの傷はこうでこうで、こういう方法で治しなさい」と誰かに説教垂れることで自分を癒すのではなくて、お互いにハグしたほうがいいんじゃないのか。
そしたら、他人の傷を解説して喜んだり、荒っぽい人を支持して自分の代わりに弱者をいたぶるのを見て喜ぶとか、そういうの、なくなっていくんじゃないかな。
わからないけど。
多くの人が満身創痍に見える、わたしには。
頭のいい人を支配したい(学歴で差別された人)、お金持ちを攻撃したい(貧しくて差別された人)、お金と地位で周囲をコントロールしたい(精神的に攻撃された人)等々。それが優しさと愛につながらずに、コントロールする方向なのがわたしは寂しい。
コンプレックスとトラウマの克服は、スピの人たちも全然できてない。
還って選民意識こじらせてる気がする。
ひとつ言う。わたし、自力で精神科の薬やめたのね。(危険なので真似しないでください)真似できないけどたぶん。今は睡眠薬も何も使わない日々だよ。
なんで、薬が手放せない人に、生き方教えられなきゃならなかったんだろうか。。。
わたし、ずっと素面で自分と向き合ってきた。アルコールでごまかすこともしてない。
謎すぎ。
満月で台風で敗戦の日。
ぼろぼろになったことを認めよう。