風に吹かれて

アラフィフのひとりごと。

ライブ最高といやいや期

私の命とも言える「コブクロツアー」に参戦してきました。

今回は、神様のプレゼントだったのか

右隣は椅子がなく、左隣は最後まで誰も来ない。

しかも、前に座っている人たちがちっとも立たないので

パワフルに立って目立ってきましたよ。

見やすかったし(≧◇≦)

 

途中、お二人の声がヤバいかも?と思う瞬間がありましたが

それでも、たくさん楽しませてくれて

アンコールではゲストも登場して

ライブファイナルにふさわしいものになりました。

 

ありがとう!コブクロ

 

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「あるがままでいること」「楽しむこと」にようやく自分に許可を出したところ。

 

そしたら、他人の声が煩わしくて仕方がない。

SNSの一部を断捨離しました。

 

どうでもいいことは見たくないし、いちいち心に引っかかるようなことを言う人とつながらなくていいんじゃない?ってことになりました。

 

前回、少し書いたのですが

わたし、昔から「いやいや」が過ぎるところがありまして。

どうも「言う通りにしなさい」が効かないですわ。

小学生の時は、まだ言語化できないことも、理論で説明できないこともあるじゃないですか。

父親の横暴とか、自分の体調が悪いのに強制されることとか。

んで、意味不明に泣いたり、「いやだ」とごねて、家族の計画を壊しにかかったりしいておりました。

 

そのたびに「お姉ちゃんはもう・・・」とあきれられたり叱られたりしてきました。

私自身は、本をけっこう読んでいましたし、自分の中に「間違っていない」という確信がありましたので、家族が「無理をしてでも同じ方向でいるべき」が理解できませんでした。

 

母親など常日頃、父親に文句ばかり言ってるくせに、文句を言いながらも従う姿勢を変えないのも不思議でした。

 

だから、「言わないで文句を溜める」「とにかく本の中に味方を探す」という半生になったようです。

 

家族それぞれに、正しさを持っていたのだろうと思うのですが

「従わせる」というやり方だけは、どうしても、今も、理解に苦しんでおります。

感情も理性もついていきませんし、従うことが習い性になっている人が、従わない人を批判するのもわかりません。

 

まあ、そういうわけで、本を読まざるを得なかったわけです。

 

 

直観で「従いたくない」という気持ちが沸いた時「どう反論するか」を必死で考えるわけですよ。

「親の言うことだから聞いておけばいい」「先生が言うことだからそれでいいのだろう」と何一つ考えずに従う人間が善とされる社会ですからね。

 

その善と、その正義をふりまわすことで

「意味も分からず従う人たち」を育て上げている。

んで、デモや反対運動を「かっこ悪い」「文句ばっかり言ってる人」「何を正義ぶってるんだ」と揶揄し、近寄らないようにする。

 

そういうのが、マジ気持ち悪いんですけど。

 

黙って従うことを、大人になって「愛」と言い換えた人たちも多数いらっしゃいます。

 

スピの弊害ってそれだと思う。

 

自分の正義と善を「愛」と呼べるような立場、資格を持てた。やったね!みたいに嬉しそうに「愛」を説いて回る。それ、愛じゃないから(笑)

 

私のいやいや期はきっとずっと続きます。

違和感を持たない社会にはならない。一生。

けれど。その違和感を持ち続けることが、私にとって必要なことなのです。

 

有名で高名な宗教家たちも、同じだと思うんですよ。

決して生きている社会を肯定していない。幸せでたまりません、なんて言ってない。

だって、見えてるんだもんね。

 

だからこそ、平和や愛について話し、瞑想を勧めてる。

 

もし、平和で愛のある世界が叶っていたら、それについて話す必要なんてない。

 

自分が変われば、そういう世界が現れますなんて、ほんまか?

 

ってことで。

いやいや期を生きる私でした。

 

めんどくさいやつです。