恋する気持ち
お弁当を冷蔵庫に置き去りにして仕事にでかけた。
家に帰ってから食べた。
そんな金曜日。いかがお過ごしでしょうか。
昔から、私には気になることや好きなものが溢れていた。
家にあった美術全集やフォークソングのレコードたち。
たくさんの本。
それは、「誰かが推薦したから好きになった」のではない。
同じ家に住んでいても、妹たちはそれらに興味を示さなかったから
「宝物を発見した!」と思っていたのは私だけである。
学生時代に「宿題のない学校」というタイトルに惹かれて手に取ったシュタイナーシューレの本からの、フリースクールへの興味。
発達障害というものに出会って、気になって手あたり次第本を読んでみた日々。
誰から言われたわけでもなく、誰に誘われたわけでもない。
わたしは、自分が気になったことに対して純粋に心を傾け、行動に移してきた。
だから、真似されても困るし、理由を聞かれても困るのだ。
スターウォーズのルーク・スカイウォーカーが好きすぎて、スターウォーズのファンクラブに入り、十回以上エピソード4を映画館で見たことや
吹田メイシアターで見た市村正親さんに感動して劇団四季の舞台を追いかけて、就活を理由にまだ小さかった大阪支社を訪ねたことは
私がどれだけ「好きなものに情熱を傾けるか」を物語っている。
何かに恋する気持ちが原動力になっているので
恋しないモノには「退屈」「つまんない」を連発してしまうのが、ある種の人たちには問題だと思われるのかもしれない。
社会常識や、制度、それに付随する権力というものに、一切興味がない。
不思議すぎて研究してみることはあっても、それに心酔することはない。
私を見て、どんなに羨ましがられても、情熱は教えられない。
情熱をあげることもできない。
そういうものだと思う。
そして、この偏狭さは、寂しさももれなくついてくる。
行動力と情熱だけを欲しがったって無理なのだ。
自分自身を否定してきた時期が長かったので
この素晴らしき私を徹底的に変えてやろうとする人たちに出会ってきた。
そのたびに落ち込みもしたけれど、逆に「負けるわけにはいかない」と何度も起き上がってきた。
そしてやっとわかったのだ。
自分の情熱は決して誰にもあげられない、お金でも買えないということが。
否定されればされるほど「わたしはそんなもんじゃない」と強く思えたことを考えると、私を否定する人たちが現れることによって「あなたのいいところを思い出しなさい」というメッセージを神様は与えていたのだと思う。
私が好きなもの、気になること、好きな人、気になる人は
万人受けするものではない。
そして、他人が好きなものを好きになることもない。
私に影響を与えられるのは、私を感動させる人だけなのだ。
友達の持ち物を好きになるとか、友達のパートナーが良く見えるなんてことは一切ない。どこかの王様と友達になることができれば、話は変わってくるけれど( ´∀` )
大切なことは自分の中にあるのだ。
誰かの中にあるのではない。
それを見つけること、表に出してあげることが一番自分が喜ぶのだと思う。
ここ一年は、今まで出会えなかったタイプの人たちに出会ってきた。
刺激的で目からうろこが落ちまくり、そして、どんな世界の人であっても、自分の世界から出ることはまれなのだということもわかってきた。
その中の一部、私のような「違う世界の人と話てみたい」と思う人だけが私と出会えることになっている。
わたしは、人と人が恋することってそういうことだと思っていて
新しい世界の人と出会うことにより、化学変化が起きて、新しい自分になるのが恋。
だから、いくらでも恋して変化していけばいいし
変化したくない人は恋をしなくていいのかもしれない。
万華鏡のような心で生きていくのはとても楽しい。
心の中にいくつもの色と形があって、きらきらと光っていて
常に心模様は動いていて。
まだまだ、知らない世界があると思うとワクワクするしかないね。
誰がどうとか、トラウマがなんだとか、投影どうだとか
そんなのどうでもよくなるぐらい、人生を彩っていきたい。
花は恋するのに一番。花屋さんに行けば素敵な表情の花に出会える。
バラは官能的。
今日の空も幻想的。
このお花の中には妖精がいるよ、きっと。