偽らない法則
「法則」ってタイトルにすれば読んでもらえるかもと思う法則www
昨日、近所のショッピングモールに行ったところ
今は何をしているかわからない長男にとても良く似た雰囲気の青年とすれ違いました。
そしたら急に何かこみあげてきて、自分で驚いてしまいました。
日頃はほとんど思い出さないのにね。
私は、息子たちのことを心配しない(ニートでも)母親なので
とても変わっているのかもしれないけど
彼らのことは、心の中でずっと祈ってるんだと思う。
自分のことを薄情な親だと責めたこともあるけど
そうじゃないんだよね、たぶん。
日本人って、「いつもいつも口うるさくすること」が心配することだと思ってるような気がするけれど、それって自分の安心のためだから。
そやって、他人の事で頭をいっぱいにしてたら、自分の人生どっか行っちゃう気がする。
「わたしは自分より子どもを大切にしている」と思い込んでるけど、自分より大切なものなんてこの世になくて、自分が自分を大切に思うからこそ、他人の人生を尊重できるんだと思うんだ。
で。
偽らない法則なんだけど。
わたしは、自分が一番だから、「そういう扱いは嫌ですよ」とはっきり言っちゃいます。
相手を支配したいかのように見えるかもしれないけれど、自分がどう扱われたいかを表明することは大事だと思っていて、それで、相手に嫌がられたら、それはそれまでかと。
みんな、忖度が好きで「相手がこう思うだろう」「こんなこと言ったら相手が不愉快に違いないからやめとこ」と、相手に委ねて自分を偽るから、愚痴になっちゃうし、「どうでもいい相手と付き合っててつまらない」なんて言うのかなと思います。
「相手を慮って言わない」を続けていると、どうやって相手に気持ちを伝えるかがわからなくなる。→「傷つけるから言わない」一択になる。→それを繰り返していると、偽りの人生になる。
それに、「わたしは、他人を傷つけないで生きてます」だと、「そんな私を嫌うなんて、受け入れないなんて、信じられない」という傲慢な人になりそうで怖い。
子どもやパートナーにがみがみ言うことが心配することではないように
「だったら何も言わないで、自分が変われば相手も変わってくれる」などと「自分が愛でいっぱいになって、優しく天使みたいであれば、相手が私に優しくなってくれるかも?」な~んていう期待することは、優しさではないと思うのです。
私もあなたも天使じゃね~し。
人間だし、嫌いも好きもちゃんとあるし。
だから、本気で人と人は愛し合うんだろ、違う?
「許せないとこあるけど、でも好き(*´ω`*)」って萌えるでしょ。
「許してくれてないとこあるけど、でも愛されてる(≧▽≦)」って良くない?
ど~でもいいか(笑)
んで。「法則」という言葉につられて読んでくれる人がいるといいな!
昨日は一人ドライブしてきました。
新緑がとても鮮やかで、しかも、山の中にはまだ桜が残っていたので
緑色とピンクのコントラストが美しすぎて、感動のあまり「いい人生だなあ」とまで思いました。
自然は大好きですが、今年ほど、葉っぱの一枚一枚に美しさを感じることはないかも。
急に思い立ってドライブになったのですが
「ドライブに行きたくなる出来事が起きたのは、私がこの緑を見るためだったんだなあ」と思うと、起きてくる出来事は全部〇で、思い通りにならないことも、それはマイナスでもネガティブでもなく、すべてはうまくいくための道に過ぎないんだろうと思います。
最高か!