風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

人の人生はあなたが読むためにあるわけじゃない

やっと日中は過ごしやすくなりました。

 

先日、職場の近くにこういうのを見つけました。

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何かな~何かな~

 

異次元につながるトンネルだったらいいな。

小人さんが出てきたらいいな。

 

どこを見ても、何を見ても、楽しく美しいものです。

朝日に感動し、夕陽に感動し、雲を見ては喜んでいる。

それだけは小さい頃から変わりません。

写真や絵にする技術はないので、それだけが残念です。

 

自然はなくならないからいいな~~~いつでも感動できる。

 

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最近は、流せることが増えました。

前は、無理する→動けなくなる、のパターンが普通で

それを「止めなきゃ、無理止めなきゃ」と自分が我慢するようなことを

徹底的に避けようとしてました。

 

まあ、そうでもしないと、倒れてばかりでしたから。

 

だけど、今は、少々しんどいことがあっても「復活する」ことがわかったので

特に気にならなくなったのです。

 

流れに任せていく、という感覚が少しつかめたのかもしれません。

 

面白いことに、同じ日に同じことを違う人から言われました。

「充実してていいな」って。

 

前は、自分で用事を作って気持ちをアゲアゲにしたくて頑張ってたけれど

ここんとこ、用事が飛び込んできて忙しい。

誘われることが増えて嬉しい悲鳴です。

 

ただし、自分の時間が削られるのはダメなので

その線引きはちゃんとやります。

 

家族や仕事という、自分以外のことで心をいっぱいにする癖のある人は

やはり、子どもが巣立ったり、仕事が暇になると「どうしていいかわからない時間」がやってくるようです。

そこから、自分のやりたいことを見つけるのが難しいのかもしれません。

 

私など、寝てるか書いてるかカフェにいるか(笑)

妄想でへらへらしているか、悲しくて凹んでいるか(笑)

そういうことで「忙しい」ので、決して「楽しそう」に見えても

「楽しい」ということでもなく、「土管を見て妄想なう」っていう感じ(余計わからんなwww)。

 

仕事や家事という現実にどっぷりと浸かることなく

蜜を探しにあちこち心がお出かけしている状態といったらいいのか。

 

うちの母親は、子ども達に音楽をやらせることで、自分の満足を得ていた人なのですが

私が思うに、どうしたって他人の成果を取り込むことなんてできっこないんです。

自分で積み上げたものだけが、年齢を経て自分のものになるだけで。

だから、どれだけ他人を見て羨ましがっても、他人の成果から学ぼうと思っても

それは無理な話で(いけないということでななくて)

自分でやったことだけが自分のものになる。

シンプルにそれだけのこと。

 

いつから始めるかも問題ではなくてね。

とにかく「自分でやろう」と決意することでしか始まらない。

 

子どもの人生を見て、それを自分の人生であるかのように錯覚している母親をずっと見てきたので、私はそれだけはやめようと。

「子どもを応援している」「孫が私の生きがい」って

結局、自分では何一つしない、と宣誓しているようなものだから

きっとそれを心の底から望んでいるのだろうと私は思うし

だからこそ、母のそばには戻らないと誓っているんだけどね。

 

「わたしに、あなたの素晴らしい人生を見せて頂戴」ってずっと求められる人生をやめてから、私は自分を取り戻した。

 

見たい物語は自分で創るものだよ。

 

つまらない人生を見たくなければ、つまらなくない人生を歩けばいい。

 

ということで。

書いているうちに何かテーマらしいことが出てきたようです。

十連休、どっこも行かんぞ!

 

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