風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

父親に対する考察

おはようございます。

昨晩、とても感情が動きました。

肩の力が抜けたかな。その理由を残しておきたくて

ブログを書くことにしました。

 

わたしは、父親が苦手でした。

何がどうってことではなくて、とにかくその古臭い考え方や、考え方と行動が一致していないことなど、すべてにおいて「だめんず」だと幼い頃に認定しておりました。

母親に同化していたと、心理学的に、カウンセリング的にとらえることは可能です。

しかし、嫌なものは嫌。大きくなってもそれが変わらなかったことをみると、私の価値観は変わらなかったし、何を言われても苦手で受け入れられない部分があったのだと、昨晩ようやく認められました(祝!)。

 

あれこれ捻くりまわしすぎなんですよね。

父親に愛されたかったことと、父親が苦手なことは両立する。

苦手でなくなってほしい、父親に変わって欲しいと願った幼い自分は間違ってなかった。大人になって、自分が変われば父親を好きになれるかも?と勘違いしたけれど、その勘違いが長年の拗らせ具合につながったんですよね。

嫌いなものは嫌いだよ、でよくないですか?

 

そういう人だったんだから、わたしは苦手なんだから、それでよかったんだよって思えたのです。

だからって、父親からの愛は減らなかったし、今もそばで見守ってくれてるみたい。亡くなってからの父親のほうが好きです(笑)あの頑固で、マザコンで、自分を守ることに精いっぱいだった生きてた頃の父よりずっと。

 

好きになろうとしたことが、すべての間違いで、嫌いなまま愛し愛されてよかったんだということが腑に落ちた時、すっと楽になれました。

 

きっとうちの息子たちも同じだろうと思うんです。

苦手な母とどうしたらええんやって思ってると思う。

それぐらい、うちは、他と違ってる。家族であってもお互いの頑固さが邪魔しあって素直になれない。それがうちなんだって。

 

自分が男性に対して、ある種の男に対して、まったく素直になれないし、聞く耳を持てないことを欠点だと思っていたし、それは、父親との確執であり、素直になれない私の問題だと思っていて、なんとかしなきゃ人間になれないぐらいの勢いで自分を責めていました。

 

けどさ~今の日本で、ちゃんと教育を受けてきた女子で、女性差別意識丸出しの父親を素直に受け入れられるほうがおかしいとわたしは思う。受け入れられるってことは、息子をそう育ててしまうことだし、DV受けても黙って耐える女になることを意味するよね。

 

すごく難しい時代を、わたしたちは生きている。いや、難しいってのが変なんです。

 

だから、わたしは自分の感性を「〇」にしました。受け入れられないことを受け入れようと無理しないってことで「おけ!」にしました。

 

言葉で愛を伝えなくてもわかるだろうとか、態度で表さなくてもわかってくれるだろうとか、そういうひねくれた男を受け入れてあげる必要などないし、女性は学歴なんて関係なくて、可愛くて世話してくれたらいいんだよみたいな考えに染まる必要もない。

むしろ、嫌悪感丸出しでいい。でなきゃあいつらわからんからな。

しかも、そういう男でも受け入れてくれる女性はいるんだから、わたしがそっちに行く必要もない。

 

イケメンで職場の女性には人気だったらしいし、母も、何をされても文句を私に言わせても、自分だけは父親のお気に入りになろうとしたぐらい父のことを好きだったらしいけど。単なる優男で、父親としては二流だったと思えた時、やっと父を「どーでもいいやつ」認定できて、私は解放されるのだと思いました。

弟がその姿を踏襲していて、まじで気持ち悪いんだ。プライドだけ高くて、社会に出れなくて、妻を働かせて威張ってる。

そういう男たちを甘やかしてダメにしてきた母親や妹も嫌いだった。

 

それだけのことです。

 

だめんずたちを変わらせようとした私がいて、絶対に変わらない実家の皆さんがいて。そして私も頑固で変われない(笑)

 

何をどうしたって寄り添うという言葉からほど遠い。

 

「素直になればうまくいくのに」という「素直星」の住人の人たちには、私のような人間を理解できないらしく、カウンセリングだろうがスピだろうが関係なく「どうしてあなたは素直になれないの?」とくる。

そもそも星が違うんで(≧▽≦)

わたしの素直とあなたの素直はきっと違うんだけど、それはあなたの「素直」の範疇ではないんだろうね。

 

これが、自分の幸せは自分にしかわからないってやつなんだとやっとわかりました。

ずっと「素直星」の人たちが素直に男に従って生きていけるのがうらやましかったけれど、わたしには無理ゲーで、同調できない自分が嫌で寂しくて悲しかったんです。自分の個性を認めるということは痛いことです。他人との違いを際立たせなければならない。同調してられない。

 

ブロックを外そうが、自分を癒そうが、過去世が原因だろうが、どーでもいい。

食べられないものを食べさせんでくれ。アレルギー出るし、そのせいで、頭パニックになるやんか・・・ってね。

 

頭を使いたくないんで、これ以上、わたしに無理難題を押し付けるな、素直さを求めるな、父親を受け入れさせるな、このままのわたしで、最上級に幸せになってみせる!というワンピースのルフィーのように叫んで終わります。

 

世間から見て、家族仲良くて、感謝できて、夫にも子どもにも恵まれたらパーフェクトかもしれんけど、そうじゃない人生の中にも幸せはあるんだよ。

これからは、そういう世界にシフトしていくとわたしは思ってる。

家族で固まっちゃうか、世界に出て行くか。

矛盾した家族を矛盾したまま続けるのもありだけどね。

 

瀬戸内寂聴さんが「家族」と一緒ではないのに、あれだけの人を癒せるように、そしてその生命エネルギーの強さにわたしは憧れているのだから、小さな世界での幸せは私に似合わないんだろう。

 

家族というものに憧れて恋い焦がれて死にそうになって、頭脳戦で頑張ったけど、無理だった。ってだけの話だ。

魂は家族を求めてはいなかった。私についてきてくれる人が家族と名乗ってくれるなら、それはありがたくお受けしようと思う。そういう感じ。(←自分で書いてて泣きそうになる。息子たちに対してずっとそういう風に思ってたんだってやっと明らかになった。)

 

だから、父親のトラウマを癒すつもりもないし、どうでもいい。

エゴがなんたらって言われたってもうどうでもいい。

欲に従って生きてみる。気に入らないものは蹴散らしていく。

蹴散らし方はうまくなったよね、たぶん(*^^)v

頭がいいとかどーでもいいわ。公文式の英才教育受けてるから今更頭悪くなれないわ。

苫米地さんの弟子になりたいくらいだわ。

 

時空を超えて、シュタイナーの学校に入りたかったし、きれいな色のあふれるファッション界で働いてみたかった。まだ、叶えられるだろうか。それとも消費者で終わるんだろうか。ステンドグラス輝く教会で生きるのもいいと思った。色んな世界を見たい、知りたい。生きている限り、できる限りのことをしよう。

 

私の嫌いや苦手をありのままに理解してくれる人たちと共にいよう。矯正されない人生でいい。

ほうれん草を食べるコツとか、ほうれん草を食べるための心理学とかいらんし。自分を整えたって嫌いなもんは嫌いや。(逆に整えるとそれがはっきりするからいいのかも)

残したらええやん、食べんでもええやん、っていうスタンスが好きなのでよろしく。

息子たちに食べ物を強制したこと一度もないんよ(←これ自慢)。