風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

どちらが拗らせているか問題

家が綺麗になったのでご機嫌です。

 

そして、友だちと楽しい日曜日を過ごせたので幸せです。

女性は、結婚して子供が生まれると、家族を構築するのに忙しくなり(私だからかもしれませんが)なかなか女友達と思いっきり楽しめる時間がなくて。

子育てが一段落してからの女友達との時間は、だからこそ、とても貴重だと感じます。

そういえば、誰と会う時も、自由なふりしてたけど、いつも夫や家族の顔がちらちらしてたなあ。

 

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私自身による検証なのですが。

 

わたしは、親子関係を拗らせた自覚はあって、「だから、先生や男性とうまくいかないんだよね」という(言われる)罠に落ちていました。

 

「わたしは、親子関係に問題があって、父親のことを消化できていないから、権威のある人を毛嫌いするんだ」と思わせてくるような人のアドバイスばかり受け入れていたんです。

 

今、自分のことを肯定するようになって、やっとわかったことは

親子関係と全然関係ないし!

 

そもそも、わたし、フェミニズム関係の本を山ほど読んでいますし、海外の小説や児童文学もよく読みました。学校の先生に対して拗らせてるんじゃなくてね、日本の先生ちょっとおかしいよっていう感覚は、親子関係こじらせてなくたってわかるんだよ!

 

父親がどうとかっていうことではなくて。

普通に、人権感覚の問題だから。

 

それよりも、学校の先生に気を遣ったり、子供がいじめられてるのに、「先生は頑張ってくれてて」と先生をかばったり、権力者に感情移入して弱者叩く発言したり、そっちのほうがよっぽど人間を拗らせてると思う~~~。

 

そういう普通の人権感覚を「すねてる」だの「素直じゃない」だのということにして、男性に可愛がられる人格を要求しようとするのって、めちゃくちゃ変な宗教でしょうと私は思いますよ。

 

結婚すれば、「結婚できた自分」をマニュアル化したくなるのもわかるよ。

だって今が幸せなんでしょ?誰だってそうだよ。結婚できたノウハウがあるから、みんな結婚したんだよ。特別なことじゃない。

それを教科書作って売れることが、その人の才能なんだよね。結婚できたことなんて珍しくもなんともない。

 

日本が綺麗になったのだって、公害で犠牲になった人たちが裁判したりして訴えてきたからなんだけど、のし上がってお金を儲ける話ばかりみんな好きで、今のような住みやすい綺麗な街になるために、どれだけの人が動いて、嫌われるのも構わずに必死で生きてたかというような話は誰もしない。

 

ほんと、自分の半径何キロ内の視野しかない。

それで、他人に「親子関係をこじらせてるのね」とか言ってるんやし、びっくりする。

大変なことですよ、これ。

 

批判がダメだの、不満を言うなだのって、

結局「奴隷は奴隷のままでいてね」ってことかな・・・につながってしまう。

人として向上することを、「権力に向かって文句を言ったり、逆らったり、うまくいかないほうがおかしい」という風に先導することとなぜかリンクされてるのがおかしい。

 

わたしはそもそも、上の人にかわいがられる才能を持ってて、でもそれが逆にとても嫌でたまらなかった。中学生の頃は、ヤンキー全盛期だったけど、あれも、ただ教師に甘えてイキがってるだけで、なにひとつプラスになってないことに、今も気づかない人多数。

ヤンキーあがりの人たちって、だから、権力者にとって使い勝手がいいのよ。

言うこと聞いてくれるし、考えないし、感情論で動いてくれるし、ちょっと感動させたらこっちのもの。

 

歴史を振り返っても、反抗しない人は殺されないし、権力者についてたら生き残れる。それを幸せと思うのなら、今、男性とうまくやって、会社をやって、男性社会で生き残れてる人が幸せだと思うのは、何も不思議ではない。人格の問題ではなくて、人間として生き延びるための手段を持ってる自分としての幸せなんじゃない?

 

ただ、それは、私の幸せと違うみたいだねって、内なる私が言ってる。

 

外側の世界は変えられないけれど、内なる自分を整えていったとしても

間違った世界に、他人を誘導するような人にはならないでおこうと思うのです。

誰かが困って私に相談したり、愚痴を言ってきたとしても

それを「あなたの問題」だなんて突き放さないし、社会の問題かもしれないし、相手の精神性がお子様で、あなたを困らせてるだけかもしれないよねって私なら言える。

 

Twitterで「離婚の原因を聞かれたら”私がいい女だったから”と答えなさい」というのがあって、ほんとそれ!って思ったし、そういうことをさらっと言えるのがホンマの大人だと私は知ってる。

 

あなたにも悪いところがあったとか、家族が大事とか、夫や子どもがかわいそうとか、あなたが拗ねなかったらよかったのにとか、そういうことを言ってしまう人とは離れたほうがいい。その人は何も経験がなくて、世間知らずで、ただお子様なんだ。許してあげよう(許せないけどw)。

 

自分に人生がうまくいってるのなら、能力があるのなら、会社勤めをしているだろうし、組織人として、組織を改革しているだろうと思う。でも、そうじゃないでしょ。

精神科医は心を病んでる人が多いと言われるように、少しでも心関係の仕事をしている人は、どこか歪んでいると思ったほうが良くて、それぐらい差し引いてアドバイスを聴かないと、間違って自分がどんどん歪まされてしまう。

 

いいほうに歪んで、有名な心理学者ぐらいに突き抜ければいいけれど、一部の人は、自分より弱い人に暴力(言葉や心の)を振うことに快感を覚えていく。

 

自分の言動をチェックしてくれる人がいない場所で、自分を律していくのはとても大変だと思うよ。いいコメントをしてくれる人を客にするし。苦言は聞かないし。(プロのカウンセラーは常にもう一段上の人に自分のことを相談するもので、自分へのカウンセリングも欠かさない)

学校を訪問して、教師のふるまいを見ているとよくわかるから。

 

だから、好きなことをやってる人は、やってるだけでよくて、そこに心理的哲学的ノウハウはいらないし、余計だし。誰かがそれを見て、勝手に解釈して真似すればいいのにと思うよね。技術的なことだけ教えるのが何よりも平和だ~と私は思うな~。

 

「教えてやりたい」「言ってやりたい」という心のほうが、私は拗らせ具合が見えない上に強いと思ってる。

機能不全家族で困ってる人に対して「家族っていいものなのに、親を許せないあなたはどうこう」と言えるのは「自分が権力を握ってるから」というまっとうな指摘もあって、そこ、もっと明らかになればいいなと私自身は思う。

 

素直に世界をみれば、困ってる人や、弱ってる人を素直に助けられると思う。

いちいち、教えを垂れたりしないで、ご飯を食べさせたり、勇気づけたりするよね。

それが素直に助けるってことだし、自分のいい気持ちに素直になることじゃないの?

なので、教えを垂れることのほうが好きだって人は、たぶんそれが疎に人にとっての気持ちのいいことになるから、それが気持ちいいって言うこと自体がとても拗らせてる人のようにわたしには見える。

それだけ。