風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

証明しなくていいもの

自分自身であることを選ぶ。

そう決めた後に、批判される。

さあ、どうする?

 

わたしは、そんなに認められたいのか?否、そうじゃない。

「認められたいと思ってるんだろう」という批判の声が自分自身から聞こえる。

そっか、これが自己否定の声。

 

嫌なことを嫌だと言うこと。

おかしいことをおかしいと言うこと。

私が行ってきたこれらのことは、間違っていなかった。

ただし、言った後で自己否定をしていたことについて、大いに反省をした。

 

伝えればそれでいい。

その後に、その人たちが何をどう考えるかは知らない。

そして、彼らのことを私が愛さなければならないなんてこともない。

許す必要もない。

 

伝えた後は、美味しいご飯を食べに帰るだけ。

 

自分が好きなこと、好きでないこと、思うこと、信じていること

それらを否定せずにいればいい。

他人と軋轢を生じたことを、すべて自分のせいにする必要はなかった。

ただ、考え方が違うだけ。話が通じないだけ。

理解してもらおうとか、わかってほしいとか、そういうんじゃなくて。

この人に、この話をしたらどういう反応が起きるだろうというお試し。

わかるかな?

 

日本人は、伝えずに済まそうとする。言わずに「わかってもらえなくていい」と拗ねる。そういうことが、私にはできない。

「わかってもらえなくていい」と拗ねることを、優しいとか、物分かりがいいとか、人が好いとか思ってない?

 

相手の考えを知るためには、「わたしはこう思ってるんですよね」と伝えなければ始まらない。相手の考えが自分と違うことを知るのが怖くて、聞かない、言わない、見ない・・・それを「相手のためを思ってる」「私は相手を批判しないから」って言い訳してない?

 

相手を知るために投げるボールは、変化球になるかもしれないし、デッドボールになってしまう時もある。そこが難しいけど。

 

私は勘違いをしていた。相手を知りたいという気持ちでぶつかっていったのを、「認めてほしいからなんじゃないの?」って自分自身で思い込んでた。

相手を知ることで、こちらの行動は選べる。相手のことを想像するだけだと、こちらの行動は勝手に制限されるでしょ。

 

 

今までのことを思い返すととても面白い。

みな、私に対して素の自分をカミングアウトしてくれてた。

一番醜い部分を晒してくれた。

めっちゃ怒ってきたり、意味不明の言いがかりをつけてきたり。

まさに「ありのままの!」だった。

私の前でいいカッコしようとする人はいないんだな。

 

「わたしに」わかってもらおうとして訴えてくる人たち。

いちいち、相手にしてあげようとして、必死になってた。

相手の訴えを自分の責任にしてしまっていた。

びっくり。(@_@)

 

さあ、わたしはどうしようか。

食べて、笑って、踊ってたら幸せなんだけどね♪

 

f:id:pikake-jasumin:20181007192247j:plain