風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

解決しない

私は親から暴力をふるわれたことがないので、暴力はマジでダメです。
押さえつけられることにも敏感なので、そういう人の近くにいることも辛い。

ってなことがわかったのが、人生も中盤に差し掛かってからというのは、やはりそれだけ、我慢が当たり前になっていたのだと思うんですね。

嫌だなと思う気持ちが相手に伝わり、何故かわからないままキレられる、怒鳴られる。
私は必死で悪くないことを証明しようとする。
まるで私が性格悪いふうに思われていく。

この繰り返しでした。

暴力を認めない、嫌だと匂わせることすら、暴力や抑圧が当然な人から見ると、嫌な奴に見えるようで、わがままだの生意気だのと理由を付けて嫌ってきます。

あなたに黙って従う理由はないので😎
ということが、そもそもわからないみたい。
対等に接することが「反抗的」と受け取られたら、こちらは逃げるしかない。

暴力に慣れてる人は、そこそこ従えるんですね。
だから、受け入れられる。

慣れてなくて恐怖しか感じない私なんかは、拒絶してしまうからなー。

だから、私は自分の姿がわかってなかったんです。
従わせたい相手から見た私、を自分だと思ってました。
生意気で問題児であるというふうに。

上から押さえつけられそうになって、怖かっただけやからな。
そういうことをしない人が隣にいたら、私は素のままの、生意気でもなんでもないヘラヘラした可愛い😆女性なんだよ。

今までは、ホントの?身構えてなくて、戦闘モードでない私を、誰かにわかって欲しくて、必死だった。悲しかったし寂しかった。

けれど、それをやめようかなと思ってます。

向き合わなくていいとわかったから。
苦手な人に無理やり合わせる生活はもう出来ないし、したくないし。
それより、自分が楽に呼吸できて、笑っていられる環境がどこにあるのかを探して、行ってみて、また、作っていきたい。

抑圧のある人間関係や、抑圧されても何も感じてない人達と過ごすのがしんどくて、常に怒ってたし、愚痴ってたし、何とかしなきゃと、上司と話をしたりしてました。

私、そんな事しなくても良かったんかもと、ふと、思ったんです。
抑圧されてることが辛いのは、私なのだから、自分だけ救えばいいのに、他人も救えるかもとか思ったりして、自滅してました。


解決しないでいいんだなあ。


立ち向かうと苦しい。
立ち向かわないでいいかもしれない。

それは、我慢することではなくて、ちょっとズラすだけだったり、気分転換しに出かけることだったり、向き合わずに横に座ること。

自分の良さを押し殺してまで、戦わなくてよかったのかーと、「明るいよね」「笑顔がいいね」と褒めてもらうまでわからなかった私です。

まあでも、戦闘モードで生きてきたおかげで、危ない人に出会っても何とかできるメンタルになれたし、言い返す知識も身につけたし、助けてくれる専門家に頼ることも知りました。
身を守るのは、1人でやらなくていいんだよ。

自分が自分の味方になれれば、助けてくれる人が現れる。
自分を救おうと決心さえすればいい。

解決させたがる人って、支配だからね。
私は不登校のことも、解決しないから、だから、なかなか認知されないけど、解決って子供を思うように動かしたい欲望だから。

その欲望を満たしてくれる人を、求めてる人が多すぎて怖いです。

こうすれば子供が動くんじゃないか、とか。

ブラック心理学だよね、それ。

で、そういうと、うちは子供を手放してるんだけど、それは私が自分の人生を歩くためであって、好みの子供を作りたいからじゃないから。

恨まれようがどうなろうが。
あなたはもう1人で生きてくれる?って。

自分からいい子になるよう仕向けたりしなかった(笑。

子供の性格を把握しようとしたり、子供の言葉の意味を知ろうとしたり。そんな無意味なこと、やめた方がいい。

そうやって、子供が、お母さんだけは分かってくれる的な思考になったらヤバいから。

おかんはわかってくれへんな、ってことに気づかなきゃね。別の人間なんだからね。

自分に集中するの。
解決しないの。解決しようとしないのがいいの。

人生に問題はなくならないんだからね(#^.^#)

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