夕方と夜の間に
電車からバイクに乗り換えて
20分ほど走る。
走っている間に、空の表情が変わっていく。
焼けるような夕空から、紺色の空に月が輝き始める。
刻々と移り変わる空を見るのが好きだ。
変わらないものは苦手で、変わらないことを必死で守る姿勢も苦手だ。
自然も人も、一瞬だって同じだったことはない。
子どもが熱を出したので、夕食はにゅうめんにした。
鶏肉の出汁で、わかめやネギを入れて、胃にも心にも優しい味のものが出来上がった。
私は料理が好きだけれど、いつも好きなわけではない。
20年という月日の中で変わってきたことを思う。
私が結婚した当時にも女性差別に対して声をあげる人はいたし
東京では男性の育児休暇も増えていた。
けれど、私の住む町ではそれはまだまだ遠い世界のことだった。
元夫が育児休暇を取ろうとした時に、一番反対したのは女性たちであった。
私に電話をかけてきて「ご主人の出世に響くんだよ?いいの?」と脅された。
舅と姑にも当然反対され、元夫が言い出したことなのに、私が悪者にされた。
だが、彼は「俺だけが被害者だ」と思い込み、私がどれだけの被害に遭ったのかを知ったのはそれから10年以上たってからのことになる。
つまり、男が育児休暇を取ったとしても、「俺頑張ってる」「俺は会社で痛い目にあった」と言って「わかってくれ」と甘える先は妻だという話になった。
親戚からの総攻撃や、職場からの説得を一手に引き受けて
初めての子育てをしていた私は
私の両親がかろうじて認めてくれただけで
あの頃、どうやって乗り切ったのか記憶に残っていない。
男というだけで、育児をしても特別意識を持つし、妻が専業主婦になれば「俺が稼いでる」になるし、育児からさっさと手を引くこともできるし、男とはなかなかの特権階級なのだろうと今でも思っている。
こういう記事を以前も書いたけれど、今ではこういう女性の気持ちが当たり前として受け入れられているのが、ツイッターに現れていて、私の結婚生活での実験は20年早かったのだと思い知らされた。
元夫が、私の「当時は奇天烈に思われた」であろう「共働き」「一緒に育児」「家事は半々」というやり方に対して、どう思っていたのかはわからない。
ただ、私が離婚の時に「夫に養ってもらうのは当然なんだよ」と言われて驚いたことは今でも覚えている。
昨日も書いたけど、私の年代ではお見合い結婚した人も多く
働かないで子育てが仕事だと思っている女性は少なくない。
しかも高学歴で、だ。
日本は変わりつつあると思う。
いつまでも女性を母親代わりにして、一生を終えたいと望む男性は、結婚できなくなるのではないだろうか。
太陽が沈み月が昇る。
空の色も変わっていく。空気も変わっていく。
私の思想は理解されないままにきたけれど
今は、理解されるされないに関わらず、自分を貫いてよかったと思っている。
流されず、自分の思うままに結婚と育児をしてきたことが、こんな風に肯定されていく時代が来るとは思わなかったから。
男の育児休暇も、女性差別がダメなことも、不登校が当たり前になることも、全部全部。
夕方と夜の間のわずかな時間を見ることができたことが、幸せだと思う。