多面体
同窓会に出て盛大に落ち込んだ。
「変わってないね」と言われて、がっかりした。
その自分を見つめていた。
私は「基本的に人は変わらないものだ」と思っている人間だ。
その魂の形を、他人がいじれるはずがないと思っている。
親が何をしようが、子どもは勝手に自分を生きていく。
自分の魂を輝かせることが目標なので、親を喜ばせることが目的ではない。
なのに、「変わってないね」と言われてこのざまだ。
高校生の時の自分が嫌いだった。
写真を見ても暗くて地味で、へんてこりん。
あの時の私と変わってないなんて!って思った。
こんなおとなしめのワンピース着ていくんじゃなかったとか
髪型を変えていくべきだったかとか
色々思ったけれど
「わたしはわたし」というところに落ち着いていった。
同窓会に出席した誰もが、昔の面影を引きずっていた。
誰一人、別人になっている人などいなかった。
そりゃそうだ。
私もそうなんだ。あの頃から、この「わたし」のままなのだ。
別人になりたい私がいた。
別人になれば人生が変わると思っていたことに気づいた。
結婚したら、愛してもらったら、あんな地味な私とはおさらばだって。
全然そんなことなかった。
私に息子が3人もいることに驚かれたけど、それだけだった。
青春時代の私を、私は置き去りにしてきた。
同窓会の後から、私は置き去りにした自分を眺めることにした。
「地味だね~」「暗いね~」と「思われていたように自分を観る」ことにした。
で、当然気分はよくないわけで、すっかり疲れている。
息子に八つ当たりするぐらいの気分になった。
そして今日を迎えたわけだけど
仕事に行く服を迷っていて、最終的にショッキングピンクを選んだ。
最初はカーキ色のトップスを着てみたんだけど、どうしても似合わないと思って着替えた。そしたら、気持ちがぎゅーーーーっと上がった。
「今の私はこれが似合うの!」
今日一日、落ち込まなかったよね。
私の根本は変わらない。あの頃は、目立つ色の服なんて着れないと思ってた。
だけど、着たかったんだよね。
変わったのではなくて、自分に素直に生きられるようになったってこと。
じみ~な印象のままだけど、人生は確実に動いていた。
大阪はまだまだ田舎なのかな。
わたしは恋愛結婚だったが、アルバイト先で出会った人も、同窓会で出会った元同級生の中にも、お見合いに近い形で結婚した人が多かった。
「恋愛結婚なの?いいなあ~」と美人でもてた女性たちが言う。
美人だから、どんな形であれ、大切にされてるんだろうと私は思うけど
美しい人たちはなぜ恋愛結婚じゃなかったのか?取材して小説にできるかもしれないね。そして、さばさば系の女子は、大学中に付き合ってた人と結婚してそのままというパターン。
これも、アルバイトや派遣先で見た光景と同じだった。
私は恋愛で結婚して、離婚して、また恋愛をしようとしてる。
人一倍「何かを好きになる情熱」が多すぎるのかもしれない。
わたしから見て、大人だった美人のお姉さま方は、今でもセレブな雰囲気を纏っていた。
それは私のゴールではなかった。
田舎者で、地味で、仕事がらネイルもできないし、髪もこれ以上明るくはしない。
がさつでぼんやりうっかりしていて、騙されたりして。
こんな私でも、何とかなっていて、時に羨ましがられたりもする。
人は多面体だと思う。
ひとつの面だけで決められない。
そのすべてが合わさって、美しい輝きを放つのだと思う。
実家では迷惑ものだったし、高校では地味な子だった。
合唱団では頼られていて、ボランティア団体ではお母ちゃんキャラだった。
職場では偉そうなことを言って干されそうになり、落ち込んで鬱にもなった。
しばらくは愛される妻で、精いっぱい母親もした。
そのすべてが、「わたし」である。
人は、誰かのことを決めつけたがる。
「こういう人だから嫌なのよね!」と。
でも、すべての人がそう思うわけではない。
すべての人からそう思われてしまうキャラだけで生きているほうが危険だと思う。
変わらない自分がいるから、どうにでもなれる。
「このキャラしかできない」と自分で自分を決めつけないように
服を着替えるように軽やかに自分を替えていければ楽しい。
そして、どの自分も愛おしいと思えるように生きていきたい。