風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

失うほどの幸福を

梅田の駅に降り立つと

ここはどこだったっけと思うほど

外国語が聴こえる。

スーツケースと夏休み。

 

今日は無言で仕事をこなした。

 

海外旅行をキャンセルし日本で仕事をしている。

 

仕事の帰り道。ふと、失ったものを思った。

たったあれだけの喪失が私に与えた打撃を思った。

東北の人や、九州の被災地の人たちはどれほどの年月を

この苦しみと共に過ごされたのかと思う。

 

失ったものの輝きが大きければ大きいほど

悲しみは増すような気がした。

 

痛ければ痛いほど、私がどれほど素晴らしいものを手にしていたかがわかる。

 

痛みは勲章に変わる。

 

愛していた人を失った時

自分の愛がどれほど大きかったかを知る。

愛されていた喜びよりも

それほどの愛を注げた相手に出会ったという奇跡だけが残った。

 

失うのは辛い経験だと言われるけれど

次があると言われるけれど

そうではなくて

ただ「失うほどの幸福があった」という事実の確認に過ぎない。

 

永遠に続くものなど何もない。

だとしたら、痛みを感じるほどの「愛を注いだ経験」は誰にも奪われない宝物になる。

 

離婚しても辛くなかったのは、注ぐ愛が枯れていたからであり

離婚した時にはすでに、喪失が癒されてしまっていたのであろう。

 

地震で失った「当たり前の日常」は、

じわじわと私に迫ってくる。

判断を狂わせるほどの何かを浴びせにくる。

 

そうか、わたしは傷ついていたんだ。

二カ月経ってやっとわたしは傷ついた自分に出会った。

 

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40代の頃は、ひたすら母親との確執を文章にした。

その前に、カウンセリングも受けていたけれど

文章にすることで私は自分を癒していた。

今では思い出すこともあまりなくなってしまった。

書くことが思いつかないぐらい、母親のことはどうでもよくなった。

 

これからも、書くことで自分を癒していくのだろう。

書き尽せば私の気持ちは昇華され、浄化される。

 

浮上するその時まで、しばらく心の海に潜っていようと思う。

そして失ったものについて、描き続けたいと思う。

 

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