熟成するわたし
引っ越しのために、家を片づけていたら「マルメロ酒」が出てきた。
マルメロは芳香が素晴らしく、たまたまどこかで見つけた折りに買ってきて漬けたのだった。
海外の小説の中に「マルメロ」という言葉が出てくるので、記憶に残っていた。
とても甘い香りのする言葉だな、本物はどんなものだろうと思いながら。
20歳を過ぎた息子が「ちょっと味見」と言って、飲んでくれた。
私は肝臓をやられていて、お酒が飲めない。
「これが美味しいお酒というやつか!」と感動している。
そんなに?と思ってちょっと舐めたけど。私にはよくわからない。
めちゃくちゃ美味いという息子のためにこのお酒は取っておくことにした。
先日、ある人から恋愛のアドバイスを受けた。
それがあまりにも納得できないので、昨日記事にしたのだけれど。
マルメロ酒が出てきたことで、わかったことがあった。
熟成ということを知らないのだな、若い人は。
私は結婚生活を20年続けた。
だからどうだというのだ、と言われるかもしれない。
けれど、たかだか10年そこそこで離婚している人たちが
わんさか、他人の恋愛相談に乗っている現実がある。
そして「やっとパートナーシップがわかりました」と盛んに息巻いている。
私は離婚してから、自分の中にある様々な感情の謎を理解したくて
若い人であろうがどんな人であろうが、本を読んだり、話を聞いたりしてきた。
そして、わかろうとしてみた。
だけど、20年もの結婚をしたこともない人たちから、心無いアドバイスを受けることが何度もあった。
それは、ある意味、他人の人生の否定であり、ないがしろにされるような感覚を私は得てきたのである。
それ故、その悔しさと悲しさをさらに上書きするように、別の人の話を聴こうとしてはまた、間違いを繰り返してきた。
今日、マルメロ酒と一緒に、20年ものの梅酒も出てきた。
「これはもうジュースやな」と息子は言った。
「今を生きる」ことの大切さを説く人が増えている。
それは確かに必要だ。過去も未来も思い煩うことなく、「今」に焦点を当てる。
私もそうやって生きている。
けれど、命と肉体をもって生まれてきた私たちである。赤ちゃんの頃と今は違う。
赤ん坊に戻ることはないし、今すぐ歳をとることもない。
時間の流れを生きているのだ。
たかだか数年で離婚して、次のパートナーが見つかったり、人生をやり直したぐらいで、先輩風を吹かすような人の言うことを聞いた私が馬鹿だったのだと、熟成させたお酒を前にしてやっとわかった。
お前が私の話を聞きに来い!である。
私は、結婚生活を全うしたのだ。私の中で。きちんと。
元夫と共に歩んだ日々を、どうして私自身が否定してしまったのだろうと思った。
愛せなくなったから別れただけで、その日その日をいつも全力で生き抜いてきたことに変わりはない。
男性となかなか打ち解けられなかった私が、彼にプロポーズされた時のことは忘れていない。こうして出会うべき出会いがあるのだと思ったことも。
別れた理由は今となってはわからない。別の人との出会いも含まれているのだと心底思っているけれど。自分のやりたいことを、やり残した経験を後悔せずに体験するのだろう。
わたしは何一つ間違っていない。何一つ「恋愛のブロック」があるわけでもない。
なぜなら、私ほど強烈に好かれる女性はなかなかいないと自負できるから。
そして、関係性を結ぶ努力を常に怠らず、相手を馬鹿にせずにいられるのは、私には培ってきたものがあるから。
私は今、息子たちと一緒にいるけれど。母親としての役割はほとんどしていない。
ご飯を作るのも掃除も一緒にやる。まるで、友だち同士のシェアハウスのようになってきている。こういう理想の暮らしを手に入れることができたのは、そのように育てたからだと心から納得している。
彼らが結婚したとしても、女性に母親的な役割をさせることはないだろうと思う
私の誇りである。
結婚も子育ても、やるところまでやった。
自分で始末をつけてきた。
これから第二の人生が始まる。
それは、まだ、結婚すら終わっていない人たちに対しての挑戦状になるだろう。
私が今日、心の底から感じた「私に話を聞きに来ればええねん、誰より人を育てられるんやからな!」という怒りとパッションがこれからの私になるのだろうと思う。
私が手をかければ、美味しくなるんだよ、なんでもね。男性もね。熟成させるのは、付け焼刃の心理学もどきでは無理だよ(#^^#)