震災後の不登校カフェ
今日は、震災後の不登校カフェになりました。
いつもの顔ぶれがあるだけで、とてもほっとします。
そして皆さんが無事であったことを喜び合いました。
美しいキャンドルホルダー(ろうそくはLEDで安全です)を作りました。
ろうそくの揺らぎは癒されますね。
これを作ると決めてきてくれたメンバーに感謝です。
私には不完全な部分がたくさんあるけれど
そして、そのことを指摘されて凹むこともあるけれど
こうして温かい場所で、被災の話を聞いてもらって、慰めてもらえる幸せを味わっています。
私の人生について、いつか書ければと思うのですが
まあ、相当変わっていると思います。
ひとつのことにまい進するわけでもなく、成功するわけでもなく、結婚も努力の塊で(笑)子育ても・・・ね(^^ゞ
そういう欠片ばかり「見てくる人」ってのもいて。
私の「できない部分」だけに焦点を当ててくるんですよね。
私も自分のそういうところにばかり目が行ってた。
けど、人ってそれだけでできているわけではないし、例えば、仕事してて、仕事の才能がないからのダメ出しならわかるけれど、人生のダメ出しをされるのは私は我慢できないタイプです。
息子たちの不登校を許容して、家でフリースクールもどきを試してみたり
夫婦生活も、巷で言われるような問題なく、でも離婚したり
公務員をやめたり、仕事しない時代が続いた後でメール配達から仕事を再開して、月給をもらうようになったり
鬱病で数年、倒れてみたりw
菜食生活を2年続けてみたり
お菓子作りに情熱を傾けたり
数年ブログを毎日欠かさず書いたり
実家と相続でもめて、弁護士さんを頼ってついに母と絶縁に近い状態になったり
ホントにもう、ありとあらゆる面白いことに足を突っ込んでは、飽きては辞め、学び、経験して生きてきました。
それぞれの項目が自立しすぎていて、どれも続いてなくて(ちょっとずつエッセンスは続いてるんですよ)ね。
それぞれでお話ができそうです。
とにかく自分に忠実で、「これをやるの」と決めたらまっしぐらにやってしまう。
2,3年は誰に何を言われようがやめない。突っ走るのがデフォルト。
今日、不登校カフェに行く前にある人から「立ち止まってる」とか言われたけど。私に「立ち止まる」という選択肢はないんだけどね。なんだろうね。
わたしは鋳型にはめられるのが大嫌いだから、他人から見る私の幸せには興味がないんだなとまた、自分を知りました。
私が幸せだと思った瞬間までも「あなたは幸せじゃなかったよね」と言うような人とは、関わりたくないよねって。
私は先を予想しないで生きています。いつもいつも、未来は不明。保険をかける生き方はしていません。だから、どちらかというと、常に「どうしてそんなことするの」と叱られる子どもの立場に立ててしまうことが多いかもしれません。
だって~明日、生きてるかどうかわからないよ~。
刹那的なのは良くないとか、やけっぱちはダメとか言う人もいるけど、それってあなたの価値観だから。刹那の中に真実はあるよ。そういうことも経験しないとわからない。
というより、そういう感覚がわかるようになった自分が嬉しいからいいの。
で、やってみて、もう飽きたらやらないから(笑)
いつもいつも明るい道がまっすぐに見えて、保険をかけていて、安全で安心な生き方はできないみたいです。
常に暗闇で、常にどこを歩いているかわからないまま生きています。
不安になるから、誰彼に相談してしまうけど。「いつか明るくなる」なんてあんまり思わないかな。
「安心安全な道を歩いたほうがいいよ」と言われて誘導されても無理かもしれないので、ごめんなさいって感じです。
来月も第4土曜日に不登校カフェを開催しています。
こんな変わった人が主催してるカフェなので、何をしゃべってくれてもOK ですよ。
今日も読んでくれてありがとう。
明日も素敵な一日になりますよ!