ダウンロードできるから
人は、側にいる人の何かをダウンロードできるという。
お金持ちになりたければ、お金持ちの側にいればいい。
この話を聴いて、「そんなことなら、私はずっとやってきた」と思った。
驚くほど普通に、私はいつも側にいる人に影響を受けていた。
影響を受ける自分を楽しんでいた。
一番直近では、「自分を人気者だと思い込んでいる人」の側にいた。
その人をタロットで見ると「ほとほとダメな人」なのだが
私にとっては「嘘でもいいから自信満々な自分になりたい自分」のために必要な人だった。一緒にいるだけで強くなれる気がした。ジャイアンに守られている子分、というよりも、「私もジャイアンになれる」と思わせてくれる。
おかげで、私は仕事では自信満々にふるまえるようになった。
「あの人のようになるんだ」という気持ちは、「私はあの人と同じ人気者である」という風にダウンロードされ、凹まされることがあっても、その気持ちが一ミリも減らなくなった。
その人に出会うまで、私は自信がなくて、いつも周りから「ダメな人」扱いされている気がしていた。実力があるのにわかってもらえないというフラストレーションを抱えていた。
それが、その人の側にいるだけで変わったのだ。
また、ものすごく落ち着いている大人の女性にも影響を受け、取り乱した時などに、その人の声や言葉に慰められることがある(頭の中で)。
接客の上手な人の側で仕事をしていたら、いつの間にか「接客が上手な三上さん」になったこともあった(昔は、接客なんて絶対無理と思ってた)。
そして、ダウンロードが終わったら離れてしまうようなのだ。
自分の中にしっかりとした「その人をお手本とした何か」を入れたら、もうそんなに会う必要がなくて、思い出すだけでよくなる。
「魅かれる人」というのは、私にとって、そういう役目の人であるのかもしれない。
アレクサンダーテクニークのレッスンの中で「三上さんは目から学ぶよね」と言われて、意識してみると本当にそうだったので驚いたのだが、まさに「目からダウンロード」している自分がいる。
めちゃくちゃ観察してる。
そして、見たくないものは見ない(笑)
影響を受けてしまうので、嫌なものは絶対に見ない。
その場所にもいたくない。
そうそう、ある図書館に勤めていた時、そこには年配の男性のたまり場になっていたために「ここにはもういられない!」と心が叫んで辞めたことがあった。
その場のエネルギーを受けることに耐えられなくなったからだ。
昔から、わがままだとよく言われた。我慢できないことは、自分でもわかってた。
この日本では、我慢しない人間はハブられる。
私は人間としていつまでも半人前だと思っていた。それぐらい、「我慢しない癖」は、嫌われる条件のひとつだった。
だけど、私は、「そうなりたくない」場所からは逃げ続け、「そうありたい」人と一緒にいることを選び、今ここに生きている。
子どもの頃に「我慢しながらいた場所」では、いつも意識を飛ばして「ここにいない自分」を作っていたものだった。
妄想で心と頭を一杯にしていた。自分を守ってたんだなあと思う。
本を読むこともダウンロードすることになる。
好きな言葉を何度も読み、書き写し、自分の中に入れる。
いつしかそれが、自分自身となる。
たくさんの人と出会い、笑ったり泣いたりすること、冒険して失敗して学ぶこと、それらすべてのことが、全部糧になる。
よそ様が何を言おうが、「そんな人と付き合うなんて」と言おうが、私の「今」にとってベストな人と私は出会って精一杯吸収するだけなんだ。
「ハマる」というのは、私がダウンロードしたい何かを持っている人に対して起きる現象。
舞台も映画もドラマも芸能人であれ誰であれ。
強くあるコトを教えてくれた人と別れて
次は、どんな人に出会うんだろう。
私が今、望んでいることは何だろう。
どんな人にときめくかで、自分の求めていることがわかる。
羽生選手の「強さ」「謙虚さ」「礼儀正しさ」とかふなっしーの「バイタリティ」「誰もやらないことをやってみる」「自分を貫く姿勢」とかもね、ダウンロードしたいし、姿を拝見しながら少しずつもらってる気がする。直接会わなきゃね~って今思った(笑)
次は、素敵な女性にときめきたいね(≧▽≦)
クリムト大好き。財布もこれ。