ドライな親だったから
人生山あり谷ありである。
そろそろジェットコースターのような人生から降りたいのだけれど
許してもらえないらしい(笑)
今、子離れのレッスンの真っ最中。
子どもを崖から突き落とすライオンの気持ちになっている。
自分から離れて行ってくれる娘のいる親御さんとは、ここらあたりは分かり合えないところではあるが、それは仕方ない。
今の日本、親離れしない息子問題がどの家庭でも大きな負担となっているのであろう。
私はその先端を行く。そして、痛みや悲しみや寂しさを経験し、伝える役目があるのだと思う。
痛みを味わいたくなくて、息子を手元に置いている親が多いがゆえに、私のような無鉄砲な母親は、息子を突き放す実験をこれからするのである。
さて。
そんなことで、私は、自分と向き合う作業をまた始めている。
自分の中で抑えつけていた感情を甦らせえて昇華させる。
あまり愉快なことではないけれど、これをすることが次のステップに向かうことだと思ってやることに決めた。
今、思い出すのは、小さかった頃のこと。
ドライな親だった。
昔は、ドライな親であることがわからなかったから、自分が見ていないところで、自分がいないところで、弟や妹が可愛がられていると思い込んでいた。
どうしたら、親から、愛のある優しい言葉を引き出せるかと、色んなことを試みては失敗した。何をどうしても、心に響く言葉(怒りでも優しさでもなんでも)をもらうことができなかった。
小さい私はそれが自分の力不足だと思ったし、自分が魅力的でないから、自分が好かれていないからだと勘違いしてしまった。
ただ「そういうことが全くできない親」ということに、気が付けてなかった。
今、私は親と距離を置いている。
しかし、母親から一切連絡はない。
何が不思議って、孫に会いたくないんかな?とか。
って思い返してみると、孫にも温かい言葉をかけているのを見たことがない(笑)
どうしてるんだとか、何が好きで何か欲しいものはないかとか、そういう甘やかしが一切ないのだった。
とにかく、夫であろうが子どもであろうが、誰からでも愛をもらいたがり、自分から与えることが下手な人である。
ドライであることが一種の美学であるかのようにも見えるけれど、単に「愛情深いことができない」だけなのかもしれない。
「気にしてもらえない子ども」は、母親の気を引こうとする。私はそのおかげで、他人の気持ちが「外から」見えるようになったし、悩み相談を受けても動じない人になった。
母親の、開いてくれない心を開こうと必死になっていた子ども時代の成果だ(^^)v
私がなぜ、妹や弟と違う道を歩んだのか、わからなかった。
弟や妹は、母から愛情をもらうのを早々に諦め、その代わり、母親の世話をすることで気持ちを昇華しようとしている。母親の元を離れないことで、親子関係を繋ごうとしているのかもしれない。
私はそうではなかった。
「諦めが悪いから!!!」
(「諦めないで!」という真矢みきさんが大好きです(#^^#)
私の人に対する熱量は半端ない。
諦めない。しつこい。だから、嫌われる(笑)
それ故に、母親にもしつこく求めた。「親だろ?なんでできないんだよ!」って。
親に親であることを求め、玉砕した。
「どうせこんな人だから」と諦めて、相手を舐めて、「これぐらいで喜ぶだろう」とかやるのは嫌いなんだよね。
松岡修造さんに似たところがあるのかもしれない。いつも本気。
だから、何をしても響かない母と一緒に暮らすことがとても大変だったのだと思う。
父は過剰に反応して、それもまた大変だったけど(笑)
やり場のない炎が、今もまだ、身体のどこかでくすぶってる。
感情を思いっきり出すのはNGだと学習してしまい。それが溜まりに溜まっているのだろう。
少しずつ出せたらいいなあ。
いつも本気で笑って泣いて、精一杯楽しい人生を送りたいね♪
自然の中にいると、解放される~。