風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

カッコつけるところ

昨日、地元のタイ料理やさんでお食事してきました。

タイに住んでいたこともある元同僚と一緒に行ったのですが「どれもおいしい!」とのこと。ほんとに美味しかったです♪

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世の中の人が何を気にしてるって

「わたしっていい人かな?」ということに尽きます。

これを外せれば、もっともっと楽しく生きられるのになといつも思います。

 

「わたしは平等で公平な人だと思われたいから」、本来守られるべき人を守らないで、別に守らなくても守られている人を擁護したり。

 

「親孝行だと思われたいから」と、虐待すれすれのことをされていても、「そういう人だったから」と許しているふりをしてしまうとか。

 

「頭がいいと思われたいから」と、調べもしないのにテレビの受け売りで「子どもがネット依存でね~」としたり顔で言ってみたりして。

 

なあ、ほんまはどう思ってるん?って私はいつも突っ込みたくてしかたありません(悪趣味(笑)

 

この癖は、親に気に入られるため、先生に気に入られるため、男性に気に入られるため、に作ってしまったもの。

本心よりも「そう思われたいわたし」を演出していて、それを自分の気持ちだとか、自分の考えだと「思い込んでしまっている」ことに、生きづらさがあるのだと思います。

 

世の中には、どうも「解答用紙」が配られていて、「正しい答え」があるかのように想っている人たちがたくさんいます。

気持ちに寄り添うどころか、正しさの押し付けが蔓延している気がします。

 

必死で「いい人にならなきゃ」ってね。

そして、それを隠すために「わたしは出来が悪いから」とか言って誤魔化す。

どうでもいいんですよ、そんなこと~。

 

いい人ぶらなくていいし、カッコつけなくていいし。

もっともっと素直になったらいいのにね。

 

嫌なことは嫌だと言えばいい。たったそれだけのことができない。

言うだけなのに。

そして、自分が言えないことを他人が堂々と発言してると、羨ましくなって「あの人、和を乱すよね」と陰口を叩いている、そのことがもうかっこ悪い。

 

たしかに、言葉には気を付けないといけないけれど

自分自身に嘘をついていると、人を抑圧する人になってしまう。

 

「わたしはこんなに我慢して立派な人を目指しているのに、どうしてそんなことができるの?」と。

 

誰を意識して生きてるの?誰に媚びようとしているの?どうして自分に制限かけてるの?

自分の発言や自分の思考を、一度立ち止まってチェックしてみて。

 

「正しい大人」なんてどこにもいない。正しさは自分の中にあるだけだから。

 

経験から出てきた深い言葉と、テレビの引用で語られる言葉は、決定的に違うんだけど。それすら判断できないぐらい、みな、何かにすがりたがってる。

自分を認めるのは自分だけ。

自立とか依存とか、みな、わかっているつもりでいるけれど

自分の中に確信があれば、自立することも頼ることも簡単にできる。

どんなに頼っても、自分が揺るがなければいいのだから。(揺るがないっていうのは、突っ張ってることではなくてね、その人の言いなりにならないということ)

 

依存していないと思っている多くの大人が、社会という集団に依存していて、社会から浮かないように、怒られないように、必死になってるのは、どうしてなのかな。

困っている人を助けるどころか、見て見ぬふりをし、困っている人を戒めてる。

 

「わたしは悪くない」「わたしは優しい」「わたしはいい人」・・・と「わたしを認めて」で生きるのはそろそろ卒業してもいい頃だよ。

堂々と胸を張って「わたし」を生きていっていいよ。

そしたら本当の優しさあふれる人になれるよ。

 

 

bluebird.hatenadiary.jp