すべてを見ていたい
こんばんは。
やっと「自分が一切無理していない仕事」をしています。
こういうことってあるんだなあと思いながら毎日ストレスフリーです。
雇われ仕事ですよ?
どんなことにも
どんなものにも裏と表、いいも悪いもあります。
結婚と離婚、どっちがいいなんてわかりませんよね。
だけど、世間的には結婚がいいとされています。
おひとりさまも歓迎されない。
子育ても、昔はよかっただの、大家族がいいだのと言いますが
学校へ行かせてもらえない子どももいれば、障害児は蔵の中に押し込める大家族もあったのが「昔」です。
私たちに必要なのは「どちらかを選ぶこと」ではなくて、どちらでもいい社会であることだと思うのです。
安全圏にいる人の特徴
例えば、結婚しているのに好きな人ができてしまい・・・という相談ばかり受ける人は、「そういう傾向のある人」に理屈をつけてダメ出しをしたがります。制度外のことをすると、心が弱るのは当然なんです。罪悪感がわいて当然なんです。
罪悪感がわくような制度だからです。そうじゃないと、みんな結婚しませんしね。
学校に行かないことを誇りに思いましょうという人もいるけれど、無理じゃん(笑) そもそも、そういう社会じゃない。
自分たちは世間の中の安全地帯にいながら、他人には世間から外れる行動を期待する。
そんな変な話、ないですよ。
「罪悪感を持つのがよくない」というのではなく「罪悪感がわくような制度がおかしいんじゃない?」って話でね。
「不」の付く話
今の世の中で「不登校」「不倫」といった「不」の付く話というのは、すべて「制度外なんだよお前は」というだけのことなので、それを本人の中に原因を見つける意味がわからない。「制度」は本人の知らんところで作られてるんで。
親のいない幸せもあれば、親がいる幸せもある。
どっちがいいかなんて比べようがないです。
子どもが生まれるためには、男と女がいる。それだけのことに、人は、父親と母親という存在を決めて、誰がどうすれば子どもが無事に育つかを考えた。それも、おそらくは、政治的な意図で。結婚を一生のものにすれば、一生その国にいてくれる。税金を払ってくれる。子どももそこで育ち、大きくなって国のために働くことになる。途中で別れられたら大変なのは、政治だけだと思うよ、わたしは。
国の繁栄のため、隣の国に勝つため、家族制度や結婚制度が必要だった。
誰と誰の子どもでも、誰が誰を育てても、ほんとはいいよね?
そして、子どもが育って一人で生きていけるようになったら、夫婦は解散してもいいよね?いつまでもそろって一緒にいなくたっていいよね?
なんとかして一緒にいさせたいから、幻想と思想を創り出して、幸せの形をそこに当てはめた。そうすることが、人間の進歩だ、みたいなことを思わせる仕組み。
そこから、依存だの、愛があるのないの、様々な精神疾患も作られてきて、生まれてしまって。制度だけが変化しないから、変化する人間というものに対応できなくて、おかしくなってるんだよ。
いつまでそこにしがみついて、カウンセリングするの?相談に乗るの?って私は思う。「制度内に人を当てはめること」は「心を癒やす」こととは違う。
そこを分離できないままに、話を聞いてる人が多いなあって思う。
世界は変わる。人類も変わる。縛られたい人は縛られていればいいけれど、自由な人を貶める権利はないよ。
今日はちょっと厳しめでした。
体調によるのかな?
関係ないことを。
今、生死の境を彷徨っているひとつの命があります。
魂の望むまま、楽になれますように。そして、その周辺の人たちの悲しみが癒されますように。
祈ります。