風に吹かれて~誰のためでもない人生の記録~

つまづきながらも、楽しく生きているアラフィフの人生を日々記録したブログです。今、少し悲しいとか、辛いとか、思っている人に、少しでも笑顔になってもらえますように。

百人一首

いったいどうなっているんだ(笑)

 

数年前、離婚する前のこと。

ある場所でわたしは、紫式部と呼ばれたことがある。

その時に思ったのは「文章を書いて何かできるのかもしれない」ということだった。本を書きたいと思った時期でもあった。

 

しかし、自分の中でイメージがわかず

セミナーに行ったり、編集者に会ってみたり

一通りのことはやってみたけれど

全くその気にならない自分がいた。

 

運命に流されるように、今の仕事に就いて

もう仕事より恋愛(というと語弊があるけど、仕事めっちゃ真剣やからな!)の生活に変わってきた。

その中で、「一緒に小説の学校に通おう」と男性に誘われたりもしたのだが、それもご縁がなく・・・。(タイミングっていうの?)

 

そしたら、ある人が「ちはやふる」の大ファンで

その影響からコミックを大人買いしたのである。

もともと、息子がアニメでファンだったし、仕事柄「ちはやふる」を知らないわけにはいかない。

 

けれど、今回のように真剣に百人一首を迎えたのは初めてのことだった。

 

ね。紫式部でしょ。

源氏物語にも惹かれていて、頭の中がちょっと古典になっている。

もうすぐ仕事先の試験もあるというのに

今日はかるたのクイーン戦もYouTubeで観てた。

 

私にとって恋というのは、自分の人生において、何かを運んできてくれるもの。

成就してはっぴーというよりも、何らかのきっかけを連れてきてくれるもの。

 

万年筆もクリムト百人一首もみんな。

 

そして、今回。

ちはやふる」に出てくる女性たちがみな、様々な葛藤を抱えていることがわかって、「仲間が~」「みんなで~」の部分を出しつつも、たった一人の厳しい勝負をしている世界の人間模様を描いているところがかっこいい。

 

孤独と仲間のギリギリの線で、ひとりひとりが誰かに影響を与えていくのは

自分の「今」とすごくつながっているように思えた。

 

人はひとりひとりで輝くものだよ。

そしたらきっと、いじめなんてなくなる。

ライバルで仲間でパートナーで。そんな人がいたらいいな。

全世界がそうなったらいいな。

 

な~んてね!

 

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かぐや姫がいそうな満月と雲。


 

あなたはそんなもんじゃない

今、びっくりすることがありました。

毎週あるYouTubeを見ているのですが

この頃疑問に思ったことがそこで言われていました。

 

「癒しは強める、魔術は弱める」

 

ちょうどこのひとつ前に書いたことです。

 

魔術という「自分以外の力」を信じるということは

自分自身を弱めること、弱いと感じていること。

自分は全部持っていて全部与えられている。

 

それを信じる力だなあ。

 

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自分を信じられなくなって

誰かを信じられなくなって

心が彷徨ってしまった時

 

もう一度自分自身に戻ることができるようになってきた。

 

ちゃんと心の底ではわかってるんだ。

何かを得られることが成功ではないし、幸せでもないってこと。

 

まだまだ何か(お金とか人の心とか)を得ることに誘惑されてしまうけど

そんな幻を得たところで、幸福感はやってこないってこと。

 

得られない焦燥感で自分を壊すぐらいなら

今すぐに幸せを感じて「ここにいれば」いい。

焦燥感から、何かを得ようとして、飛びつかなくていい。

 

SNSでは「あなたに魔法をかけてあげますよ」という誘惑に溢れている。

少しでもノックしたなら、メールだのなんだので「あなたのためだから」と対価を払って魔法をかけてあげようとする人でいっぱいだ。

 

本当に必要なものはなんだろうね。

 

わたしは自分を信じたかった。

そのために、誰かが私を信じてくれることを求めていた。

けれど、それを求めれば求めるほど私を信じない人が現れた。

 

「誰に嫌われても自分の思うように生きよう」と腹を括ってからは

私を信じて認めてくれる人が現れたし

信じてもらえなくても、そこは、私と考え方が違うだけだとはっきりと認められるようになった。

 

みんな、お金を得てるから、家族が優秀だから、パートナーがいるからみたいなことで

「だから自分は認めてもらえる存在だ」と思ってるような気がしてたし

実際そういう人も多いと思う。

 

じゃあ、全部なくなったらあなたは自分をどう思うだろうか。

みじめで孤独で誰にも必要とされてないような感覚に陥らないだろうか。

 

「幸せ風」に生きることはできる。

そのまま死ぬこともたぶん、できる。

 

けど、「幸せ風」を装うことがとても難しくなってきている今

それを得られなくて苦しい人もいると思う。

 

「風」を取り除いて、ただ幸せを感じる。

「世間的に負けてる」とみなされる人たちが、幸せな顔をして暮らすようになったら世界は変わる。その第一歩を始めたいと思うんだ。

 

わたしたちは、そんなもんじゃない。

人は自分でなんとかできるんだよ

こんばんは。

早く寝ないといけないのに

引っかかることがあって

自分のために文章を書きます。

 

Twitterで無料占いというのを見かけたので

ちょっと乗っかってみたんです。

そしたら「人間関係の運気が塞がれている」と言われたんですよ。

ほ~そうですか、そうですか。

「だから、相談に乗りますよ」と。

 

で、一言二言話を聞いていると「だから、こちらの○○をやりなさい」への誘導でした。すぐにわかったので、話を切り上げたんですけど、もやもやしましてね。

 

夏にも、ある霊能者を名乗る人から「過去世が引っかかっているから、自分のせいじゃないのに嫌なことが起きている。○○をしたほうがいい」と言われました。

 

あ~そうですね、そうですね。

 

親子関係に難ありというのも知ってるし

絶好調に物事が進まないこともわかっています。

 

何かが視える人からしたら、「運気が良くない」のかもしれないし「過去世のせい」かもしれません。

だけど、だからって「○○したらいい」とはどうしても思えない。

お金を出すのがもったいないと思うこともありますが。

 

私ははっきり言って弱いです。

そう言われたらそうかな?と一瞬悩んでしまうし

そりゃ運気をあげたい。

人間関係がふさがってるなんて嫌じゃないですか?

 

だけどね。

その問題解決法が「お金を出して○○してください」っての、どう考えても納得できないんです~。

 

壺買ったらいいですよ、というのと何が違うんでしょうね。

 

大変な時期を過ごした時、もしかしたら大殺界だったかもしれないし、その大殺界を避ける方法があったのかもしれないけれど

わたしはちゃんとその時期を「大変さを味わいながら」過ごしてきたし、弱いながらも無我夢中で生きてきた。

それは私の財産です。

 

もし、人間関係の何かが塞がっていたとしても

わたしはそれを、自分でやり方を見つけて乗り越えたいし

乗り越えなくていいことかもしれないとも思うんですよね。

 

どう生きるかを選ぶのは私だということ。

「大変な困った運を背負って生まれてきた」として、それを指摘して何をしたいんだろうね。

 

自分を信じなさい。自分を愛しなさい。

こういうことがあるたびに、私はその思いを強くします。

私は自分の幸せを全く諦めてないし、諦めない。

どんなに何を言われても、「じゃあ、そういう運ということで」なんて思ったりしない。

 

わかるでしょうか?

 

大変なことが起きる少し前の年に「出版するといいよ、めっちゃ今運がいいよ」と言われたけど、その時は動けなかった。それが正解だった。

 

あの時に無理してがちゃがちゃしてたら、今の仕事してないし

面白い人にも出会えなかったと思うし。

んで、ちょっと今、ムカついたから(笑)運気ってなんだよってことをちょっと調べてみるわ。本気で腹立つwww

 

キリストは磔になるってわかってたら、行動を変えただろうか。

磔を避けるためにお祓いでも何でもやっただろうか。

 

たぶんそういうことだと思うんだ。

 

結論はない。

 

けど、一歩一歩私は進むよ。塞がってるなら実力で穴開けてやる。何としてでもな!

 

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自分を広げていく

今、カラオケバトルを見ているのですが

和田アキ子さんが大好きな小学生、めちゃうま\(◎o◎)/!

っていうか、声が素直で美しい~~~

今からファンです。

歌手になってくれるかなあ。。。

 

人間関係について今、思うこと。

 

奇跡のコースを少しかじりながら生きているからか

関係性について決めつけなくなってきました。

誰かと出会ったことについて、良い悪いではなく

自分はこの人に対して何を見せられるだろうと思うのです。

相手に合わせようとも思わないし

媚びへつらうことも必要ありません。

ひとりの「わたし」として、その人の前に「いる」

 

それが人と人が出会う意味なのかもしれないと思うのです。

 

そして、相手の優しさや愛をしっかり感じることで

自分も世界を広げていくことができる。

今日出会ったから、明日も一緒にいなくちゃ、とか

約束したんだから何かをやってくれないと、とか

そういうことではないんだよなあ。

 

私は、昔から悪意や奪われ感を察知するのが得意です。

欲しい欲しいと思って人と接している人のことはすぐにわかる。

それがとてもしんどくて、辛くて。

どんなに善良に見えても、どんなに口先で「あなたのことを思って」と言われても

私から何かを奪おうとする人とは一緒にいられないのは、けっこうストレスになります。

 

どうして私の周りにはそういう人しか現れないのかしらと悩んでいました。

 

だけど、今は、好意や愛を感じられる自分に変化してきたことがわかります。

 

誰かと比べて「わたしは愛されてない」と思うのは簡単です。

比べればいいだけだし。

けれど、比べるも何も、私は誰とも比べられない存在なんで!と

自分で思っていれば、それほど恐れることはないはずです。

 

関わる人が、私より誰かを優先したところで

私の価値はちっとも下がらないし

むしろ、自分の価値を知ってる人と一緒にいればいいんだし

まあ、一番自分の価値を知ってるのは自分だから

自分を遊ばせればいいのでね。

 

「比べる無意味さ」を知るための人生を

私は長い間歩いてきたような気がしています。

 

自分が空っぽの時が一番苦しいよね。

愛する人がいなくて、「愛されてない事例」ばかり集めてしまう時。

心が満たされていれば、愛されてない事実をいちいち取り上げたりしない。

誰かと一緒にいなくても、全然平気になる。

 

そして、人はいつも自分の「変な部分」を取り上げて

「これが私らしい」と思い込みたいようなんだけど

「自分らしさ」なんていつでも変更可能だし

それよりも「どんな自分を今、現したいか」をやってみたほうが

気持ちがいいし楽です。

 

人との出会いというものは

自分だけではできない、「自分の現し方」を試させてくれる大切なもので

そのバリエーションが多ければ多いほど

自分の中のバリエーションもどんどん増えていくことが

出会いの醍醐味なんだと思います。

 

出会うためにまずはお金も時間も使うんですけど

それをケチってしまったらもったいない。

経験を積めばそういうのって後から回収できるようにも思うので

どんどん自分を広げていくことは大切じゃないでしょうか。

 

家族親族だけの価値観で固まったり、村社会の掟の中でがんじがらめになってたりする人ほど、怖がって外の世界を拒絶しがちです。

 

出会いましょう。

広げましょう。

愛し合いましょう。

 

今年も。

 

 

 

 

 

出会いの不思議

いつの間に~

お正月終わってる~

土曜日だし!しかも!

 

みなさまは、よきお正月を過ごされましたか?

健康で出かけられたらそれだけで◎ですよ。

 

不思議なことに、離婚してから

「モテるでしょう」と言われることが増えました。

自分ではちっともそう思っていなかったのですが

どうやらそうらしいです。

 

それよりも、私は人間が好きらしいということは

自覚してきました。

人と出会うこと、人とおしゃべりすること、そこから新しい何かを見つけること。

そして、出会った人と影響を与え合うこと(一方的に与えるのではなくて!)。

どれも素晴らしいです。

 

家に籠っているのが好きだ、という若い頃の自己イメージは崩壊しました(笑)

 

私は、誰もが私について想像する以上に

人間に興味があって

だから、元夫のこともそうなんですが

「あなたには向いてないよ」と言われるであろう人でさえ

好きになってしまうことがあるんだなあと思ったのでした。

 

私だけではないと思うんだけど。

どんなに「その出会いで満足なの?いいの?もっと違う人がいるよ」と言われても

「未来に辛くなるよ」と聞かされても

「いやあ、今はこの人が好きなんで!」と

なってしまうこと、ありませんか?

 

それが出会いの不思議というか、人生の妙というか。

自分の業というのか。。。

 

必要でない人とは出会わない気もするし

自分の波動が変われば会う人が変わると言われても

今日明日で変わるはずもないしね。

 

そこは、本当に誰かに言われたからではなくて

自分の人生を、自分自身を信じていく他はなくて

委ねた先に何があっても、人のアドバイスは受け入れつつも

それはそれとして生きていく。

 

のかな~~~と思うわけです。

 

私が自分の「モテ」を封印してきたのは

全開してしまうと、「面倒見てくれ」星人たちの餌食になると思っていたからで

母との共依存で生きてきた私には

他人との線引きが難しく

モテればモテるほど危険だったからでもあります。

 

そして、私が注目されることを私の実家の人たちは超嫌がったし

その嫉妬にまみれるぐらいなら、おとなしい人格を被ったほうが楽だったからでもあります。

 

虐められるの、嫌だもんね。

 

おかげで、注目されることに酔うこともなく

人を観察することもできるようになりました。

ちょっと歪んだけれども(爆死

 

だもんで、ストレートに明るくていい人と知り合えたら

幸せになれるだろうと思いつつ

私はちょっと陰のある人を選んでしまう傾向があるんですよね。

 

難しい人のほうがやりがいがあるっていうか(ダメじゃん・・・)。

 

しかし、どんなにダメと思っても

魅かれてしまうことには変わりなく

これが人生のどこまで続くのか

私は自分自身に楽しみにしております。

 

そうでなければ、恋愛小説は面白くない(そこか!)んです~。

うまくいかないとか、理想と現実が違うとか

こっちは良くてもあっちがダメとか

もう全方向から勘違いするとか

それが恋愛の面白みであり

「こうあるべき姿」に当てはまってみんな幸せ~なら

悲しみや寂しさという感情を知らないままの人間になってしまいますよ。

 

どうにもならないことを経験しないと

大人になれない。

 

悟りを開こうとする人が、全員パートナーシップに恵まれているわけじゃないじゃないですか。

なぜ、仏門に入られたのか。どうして修行されているのか。

どうしてひとりで説法されてるのか。

ってことですね。

 

人間としてのすったもんだを経験し

パーフェクトな人間関係に恵まれていなかったからこそ

人間とは何か、本当の幸せとは何かを追求する道に行くのだと私は思います。

 

だから、自分の出会いに〇✖つけるんじゃなくて。

正解を見つけるんじゃなくて。

この出会いが何を連れてきてくれるかに注目したら

面白いことになるかもしれません。

 

済んでからしかわからないのもまた、たのし。

 

というわけで、今日も素敵な一日をお過ごしください(#^^#)

 

私は結婚して何が窮屈だったかって

夫以外の男性と堂々と仲良くできなかったことです。

世界中の人と知り合いたいんだよね!

 

狭い世界は退屈~~

わいてくる気持ちに蓋をしない

お正月、いかがお過ごしでしょうか。

全く駅伝を見ないです!(自慢かw)

 

本を読もうと思うのに

天気が良くて外に出たくてたまらない。

お正月は、カフェもいっぱいだしね。

 

さて。

 

今日も穏やかな時間を過ごしているのですが

昨日いきなり、不意打ちのように、いつもの感情が沸いてきて驚きました。

根深いっす。

 

ひとしきり浸ってから出かけたわけですが

夜に家に戻った時には何もなかったかのようになっていました。

 

今回思ったことはこの感情の一番底にあるのは

出生時の記憶かもしれないということ。

 

生まれる時に母が感じていた感情、また、生まれてから母が激しく思っていたことを

わたしは自分のこととして取り込んだのではないかということでした。

 

そうじゃなきゃ説明つかないよなあ、と

負の感情と共に必死で頭で考えていたわけです。

 

そして、昔は、そういう感情が沸いてきた時に「もうやめたい」「この感情いらないのに」「どうにかして楽になりたい」と余計にしんどくなっていたのですが

今回は、とことん浸りました。

そしたら、どんなに幸せな人でも、辛い感情を味わう瞬間ってきっとある(昔のトラウマが蘇るなどで)し、蘇った時に静かに自分と共にいることができるかどうかが、人生を変えるんじゃないかと、ふと思ったんです。

 

他人と同じで、消してしまうことはできなくても

そういう自分を友として、一緒に泣いてあげることはできるって。

 

幸せなふりをして、躁状態でいることは簡単だけど

そんな風に感情に蓋をしようとする努力のほうがずっと大変で

それよりも、来たものを拒まず、見ないように努力することをせず

(大波が来て飲み込まれてこのまま死んでしまうような気持ちになるけれど)

波に流されて浮いていると、いつの間にか岸にたどり着いてるのかもしれない。

 

自分を信じるってそういうことだと思います。

こんなことで倒れんない、こんなことで死なないってね。

 

どれぐらいの事件でどのくらいのダメージを食らうか。

人生は、経験と失敗によって、越えられる壁がどんどん高くなってく。

それが「自信」につながる気がしています。

 

天から降ってくる宝物を受け取ります~じゃないんだよね。

棚ぼた精神では、何をやってもすぐ凹むでしょ。

 

というわけで。

自分の、どんな気持ちも無視しないことをお勧めする正月となりました!

 

一時間ぐらい凹んだわ~泣いたわ~。

 

でも、それで終わりです(≧▽≦)

 

そこに力を使わないコト。抵抗しないコト。

 

さて。地元の神社にご挨拶に行きますか。

混んでないといいなあ~~~。

 

年齢を重ねて

またひとつ、年齢を重ねました。

昨年、自分のために思いっきり贅沢をしてみたわけですが

それはそれでとても良い経験になったわけですが

何かこう、足りないというか。

お金を遣って贅沢をするってこんな感じだなあという感覚で終わりました。

 

でもそれってすごく大切なことで

「やってみなくちゃわからない」んですよね。

みんな「お金で贅沢したい」という願いを少なからず持っていて

でもしれをした後に「どんな気分になるか」を知らない。

 

その感覚が「これ、私に一生必要なの!」と思うかどうかとか。

 

昨日も書いたけれど、「回数を重ねる」「経験を積む」というのは

「こうしたい」「ああしたい」という気分と

それをした時の自分の感覚をきちんと照らし合わせることの

大切さなのです。

 

欲望だけを心にずっと持っていると腐ってきます。

だって実行されないんだもん。

食べ物と同じでね。

 

食べないと、その欲望を。

 

美味しいかマズいかわからない。体に合うかどうかもわからない。

脳でいくら思い描いても、味は五感だからね。

 

というわけで。

 

今年はゆるゆると一日を過ごしています。

お天気いいし、家の中は気持ちがいい。

昨日も一日「きのう何食べた?」というドラマを見続けていたのですが

このドラマがとっても素敵でした。

殺人もいじめも出てこないし、かっこいい男性しか出てないし(笑)

おいしいご飯出てくるしね。

これは恋愛の教科書にしてもいいのでは???

 

スターウォーズにしてもそうだけど

血縁に縛られない関係にどんどんなっていくんだろうと思います。

正月もやりたいようにすればいい。

 

今年は、自分をもっとパワーアップしたいと思っています。

まだまだ納得できてない自分がいて。

上を向いて歩いていくのだ。

私には、愛する対象があれば他には何もいらないかも?だから、後は自分自身に愛を。

 

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