風に吹かれて

アラフィフのひとりごと。

依存、このやっかいなもの

緊張の糸がほどけたかのように

体調を崩しました(笑)

溜まっていた掃除をするつもりが

身体のメンテナンス(要は寝てるだけ)をしております。

 

面接ってのが、敵陣に乗り込むような気持だったから

さもありなんでしょう。

 

上の人の思考がそもそも「資格がなくても人と仲良くできる、お金もそんなに困ってない人たち」を「専門知識を教えずに、ただ自分たちの都合のいい人材として使う」だったところに、専門職バリバリの私が斬り込んだもんだから、

試験の内容も、面接も、私が着任してからやらかしたことのチェックみたいな問題が出たんですよ、これまた。

どこまでねちっこいんだまったく。

 

人を舐めたらあかん。

 

さて。

 

アダルトチルドレン問題から始まった私の依存への関心は尽きることなく

約30年ほどのお付き合いになります。

私は、この問題をずっと自分事としてとらえつつ、また、客観的に見つつ思うことは

依存をなくすことはできないけれども、依存に気づく人も少ない、ということです。

日本の悪い癖だと思うのですが

「自分にとって理解できない人へのレッテル」として「あなたは○○に依存して」という説明を持ち出すことが多い。

 

発達障害界隈もその傾向が強いです。

 

人と違う、人に理解されない、何となくこの社会から浮いている気がする・・・

その理由づけとして用いられすぎたのではないか。

本来の意味での依存症という問題に向き合うというよりも

「説教する題材」に過ぎないのではないか。

そんな気がしてならないのです。

 

というのも、他人事のように「依存」と言う人は

自分がいかにこの社会の制度に依存しているか、ということを全く頭に描かない。

自分は自立していて「偉い」「間違いない」人間である、と思っている。

 

まずそこが出発点としておかしい。

 

学校制度や結婚制度からはみ出した時、まっさきに慌てるのは「私はまとも」と思っていた人たちです。

 

私の、若い頃の結婚願望とその願望をすぐに叶えたのも

実家に依存できなくなる未来がすぐそこにあり、そこから逃げるために、結婚することに依存したというのが今わかることです。

 

日本という国にとって、依存する人間を増やすことが正しいことなんですよ、実は。

だから、みんな悩む。自由に生きたい、だけど、この国は依存したほうが得だよとささやきかけてくる。圧力をかけてくる。

そして、自分が気に入らない、悩んだりわめいたりする人を「すねてる」「依存してる」と烙印を押すことで、自分がもっと大きなものに依存していることを巧妙に隠してしまう。

 

学校に行け、結婚が正解、家族美しい、不倫されても離婚するな、ってね。

 

会社に依存しない人も、結婚にはこだわって依存するよね。

それをパートナーシップだのと綺麗な言葉でごまかす。

 

そういうわけで、誰もがひとりでは生きていないし

自立もしていないし、自由でもないのです。

 

明日、家族から放り出されても「わたしは、自立してるから愛があるから、家族を愛するし、笑って生きられる」と言い切れますか?

 

誰もが依存先を庇うんです。学校に依存してる人は先生を庇い、結婚に依存している人は、パートナーを庇う。

そうしないと生きていけないと思い込んでいる。

 

私がこういう考え方を構築するようになったのは

母親と意思疎通ができなかったからで

今思えば大変ありがたいことでした。

愛情不足に悩んだこともあったけど、おかげで「家族主義」からは逃れることができました。

私は、新聞や本を読んで自分の考えを形作ることしかできなかったのです。

「親がこうしなさいと言うからこれが正解」とはならなかったのです。

 

早い段階から、親と自分との関係を見つめてきたし、それを突き詰めてきたおかげで、今があります。

温かい家庭とは言えない家庭で育ったからこそできたこと。

 

親に依存できなかった私は、親にしがみつこうとしたけれど突き放されて

親に依存したくてたまらない気持ちを他人にぶつけたりして失敗した挙句に心を病んで、そこから脱しての今ここ。

 

人はまず、依存先を探すものだし、依存先がなかった人は何かに向かう。

親や家族に依存できた人はらっきーだけど、それは「依存ありき」で始まったものだということを忘れちゃうんだろうな。

 

もう何を書いているんだかわからないですが

しがみつかない関係性の中で、自分自身と共に生きていけるように

訓練され続けてきたのだなと思います。

それはとても辛い道のりでしたが、今はけっこういい感じです。

 

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ハートだな、やっぱり。

 

ひとあんしん

ひとまず、懸案だったことが終わった。

終わってみれば、楽しかったの一言である。

最初、私に対して恐る恐るだった同僚が

今では戦友のよう。

みな、ひとりひとりで職場で闘っているのだ。

だから、「上にいらんこと言ってるから落ちるかもね」というジョークを飛ばしあえる。なんて幸せなんだろう。

 

結果などどうでもよい。

今日は、つるまなくてもいい心の交流があることを再確認できた。

 

一緒にいることが絆ではない。

たまに会って話した時に、理解しあえればいい。

 

私が入った時にはバラバラだった人たちが

なんとな~くいい感じでゆるくつなってる。

言いたいことを堂々と言ってる。

それを見るだけで私はムネアツだよ。

 

私は役目を果たした。

 

そして、ちょっと思ったんだけどね。

「私は苦手な人などいません」と言ってる人は

おそらく、誰かがその人が苦手だなあと思っても、気づかない人なんだな。

繊細で気付ける人は、すぐに傷ついてしまうし、苦手な人がどこにでも現れる。

わたしはそれが悪いことだとは思わないんだ。

 

逆に、「嫌な人がいない」と言ってる人に限って、周囲に「あの人、苦手なんだよね」と陰で言われてる可能性はある。「ま、言ってもわからないだろうし」と放っておかれていることも。

 

そう、昨日予告していた「嫌いな人」や「苦手な人」あるいは、「うまくいかないこと」が自己肯定感を上げるチャンスになったりするって話。

気付ける人は幸いなのだ。

自分の中にある「成長の種」に出会えるから。

 

芸能人の不倫報道を見てても思うけれど

「うまくいってるように見せる」ことは意外と簡単なのかもしれないよね。

見ないふり、見えない鈍感さによって。

夫の文句を言いながら、結婚生活を続けてる夫婦ってそうだと思う。

鈍感さを「優秀さ」と勘違いしている。

 

自分の中で泣いてる自分、自分の中で抑圧している自分に出会うためには

現実の「嫌なこと」と向き合わざるを得ない。

それをやらなきゃ見えない。

偽の幸せの最中に、置いてきぼりにしてきた過去の自分は出てこない。

 

わたしは、恋愛がうまくいかなくなったり、職場で悔しい思いをするたびに泣いていたけれど、そうやって向き合ってきた結果

どんどん自分の中にある否定的な感情が減って行ったのは事実。

で、「あ、この人に出会ったのは自分を確認するためなんだな」と思えるようになった。

それは、誰かにそうしろと強制されたからではない。

マジで「こいつの最悪の部分、私とそっくりだ」と素直に思えるのだから。

 

だから、人を愛おしいと思う。

自分を抱きしめるように、他人を抱きしめたいと思える。

 

だからね、嫌な出来事は嫌だけど、肉体もぼろぼろにされるけど

その「嫌な気持ち」がず~っと自分を壊し続けてきたのだと思うと

いわゆる「風邪で高熱がっでてしんどいけど、熱が下がってすっきりするよ!」と同じ状態になる。

 

ウィルスのように、自分を攻撃する感情ってのが、潜伏してるんだ。

それが「嫌な出来事」として発症する。

ウィルスを認めてなだめてやれば、

それは免疫に変化する。

 

自分を守ってくれるようになる。

 

だから、「嫌な出来事」がやってきてしまった時には、ちょっと降参して、ゆっくり休んで、嫌な感情をいっぱい出したらいいと思うよ。

 

解決しようと焦らなくていいから。

 

そしたらきっと、いつか、自分を守ってくれる思い出になる。

 

大丈夫。一緒にやろう。

 

さ、今日はゆっくり寝よう。

 

 

伝える

雨だと聞いていたのに

気持ちよく(でもないかw)晴れている。

 

家の中にはイチゴジャムを炊く香りが充満していて

春を先取りしているかのようだ。

 

パソコンの隣にあるのは、ウェイリー版の源氏物語を翻訳したもので

数日前に買う決心をしたところである。

名前がすべてカタカナ表記だったり、帝=エンペラー、神無月=ゴッドレス・マンスといった訳を楽しみつつ、海外の人が味わった感覚を得るような気がして、読み進めるのが楽しみなのだ。

 

世間では、不倫騒動がまたにぎわっているのも

源氏物語の時代から変わらないものを感じる。

日本というのは、どこまでも男に甘い。

紫式部が描いた女性の悲しみや苦しみは、今もなお、引き継がれているのが

なんとも言えない。1000年経ちましたけど?みたいなね。

 

さて。

 

そんな中、わたしは、新しい趣味を加えつつ

相変わらずひとりで大騒ぎしながら生きています。

 

ひとり大騒ぎも、上から見てみれば楽しいのですが

なかなかに肉体を痛めることもある。

そろそろ、自分のこの性格で遊べたらいいのだろうとおもうところです。

 

私がこうして文章で何かを伝えたがるのは

いわゆるコミュ障であり、話下手であることが発端です。

どうも、言ってることが伝わらない。

好意的に受け取っていただけない。

その理由がわからなくて、結局悲しくなって諦めることのほうが

多い人生でした(諦めるってね、泣いてうじうじするだけじゃなくて

キレてしまって放り投げることも含めてです)。

 

しかし、こうして文章が書けるようになり

少なからず読んでくれる人がいて

私はようやく、生きている心地がするようになりました。

そして、口に出して話すことも、理解してもらえる機会も徐々に増えてきました。

 

私が思っていることや感じていることは

「かみ砕かないと伝わらない」のです。

「そうだよね?」「そうだよ!」という同じ速さで気持ちが伝わる人は少ない。

Twitterをやるようになって、やっと「あ、この人は同じスピードで理解できる人だ」と見つけられるようになりましたが

近所にはいないもんです。

 

あまりにも伝わらない経験をしたために(親も含めて)

諦めることを選びがちだった私が

ようやく「諦めずに伝えること」を選ぶことにしました。

 

年の功、かもしれませんね。

わかってもらえないことに傷つかずに済むし

わかってもらえない人に執着しなくても生きていけることも知りましたし。

 

人と関わるのが実はとても好きなのかもと思い始めています。

 

いわゆる表現(歌でも絵でも)は、すべて「伝えること」

人と関わることで癒されてきた自分の、もっとも奥底にある「伝えたいこと」を

これからは伝えていけたらいいなと思います。

 

次は、人と関わることで癒されること、について書きましょう。

褒められたり友達になることだけが癒されることではなくて

嫌な経験をすることで癒される傷もある、ということを。

 

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切り株ってなんとなく、絵本のイメージ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫

こんばんは。

 

今日は、イケメンがマツエク担当だったので

ご機嫌ですが、何か~~~。

 

日々、たくましくなるばかり(笑)

 

最近の笑える話。

底抜けのケーキ型を買ったんですよ。

底抜けるってわかってたのに

プリン液を流しましてね。

当然漏れ出しましたわ~~~。

なんとなく、行ける気がしたんだよね_| ̄|○

そう、なんとなく。

 

わたしの行動ってそんなもん。。。

 

私が二十歳のころに比べて、結婚する女性が少なくなってる気がする昨今。

「恋愛するには」マニュアルが書店に並んでいます。

SNSでも幸せになるコツを売りにしてる人がいますね。

それをたくさん見てきて思うことがあります。

 

みんな、人間に完璧を求めすぎじゃね?

 

結婚してる人がみんな、「できた人」じゃないでしょ。

見たらわかるでしょ。

相手に求め過ぎてはいけないとか、自分を押し付けてはいけないとか

愛は自分で満たすものだとか・・・

そんなことができる人なら、結婚してませんって(笑)

お互いに頼りたいし、頼りながら子育てしたいから結婚して子ども産んでるんだよ。

じゃなきゃ、毒親っていうものはこの世にいないはず。

 

現実的でない、理想の人間像を創り上げることで

普通の人がまるで「できてない人」のようにするの。

「男性とうまくいかないんです」ってね、そりゃ、相手が悪いこともあるよ?

受験じゃないんだから。

努力したって、修行したって、縁がないものはないし、相性悪かったらどうしようもないし。

 

完璧に「自分で自分に愛情を注げるようになる」人なんていない。

完璧に「相手に求めない」人もいない。

そんな完全な人間がいたら教えてくれや。

 

今のままで、大丈夫なんだってば。

誰もが未熟なまま結婚して今があるんだ。

過去の女性、すべてだよ。

 

理想を追い求めることは、自分のためになるし、面白いと思う。

だけど、誰かにそれを押し付けたり、「あなたはそうじゃないからダメだ」なんて言える人はおかしいと思う。

 

わたし、独身に戻ってから、若い人たち(肩書はヒーラーとかなんとかついてたっけ)から散々なこと言われたけど

申し訳ないけど、あなたたちよりずっといい結婚経験したけど?って今なら言える。

それを経ての今なんだよね。

セックスレスにもならなければ、育児にもずいぶん関わってもらってたし(20年前ですよ)、浮気も殴られたこともないです。夫の実家にもほとんど行かずに過ごしましたよね。私の親ではないのでね。

私の問題は、「それなのに自信を持てなかったこと」なんですけどね。

 

「今、できていない人」に説教するなんて簡単なんです。

自信を失ってるわけだから。

そういう人に売れるから、本が出てるわけです。

 

どんどん自信を失わせて本を買わせる。セミナーに行かせる。

おいしい商売っす。

 

なのでね。

お金かけずに自信を取り戻そうよ。

 

あなたはあなたのままで大丈夫だから。

 

「わたしはきれい」って鏡の前で唱えるだけできれいになるから。

 

不完全のままで愛されるから。

 

数年前の自分に教えてあげたい。

 

自分をみくびらないで。誰かが自分を貶めても、自分で自分を貶めちゃいけない。

 

一緒に幸せになろう。

 

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決意

冬らしい寒さがやってきました。

日の光は春のようですね。

 

さて。

 

ここにきて、ようやく私が何を学ぶのかが見えてきました。

人生ってよくできてる。

あなたには恋愛が足りないと教えてもらった日から数年たって

やっとその意味が理解できるという・・・。

 

今、自分至上もっとも怖いことにチャレンジしようとしています。

それは、本気で幸せを掴みに行くことです。

お手軽なものじゃない幸せを。

 

どうなるかわかりません。

 

だけど、仕事においても、しんどい時に辞めずに踏ん張って成果が出ることが分かった今、仕事以外でも頑張ってみようかと思っています。

 

わたしは、幼少期に妬まれ僻まれたことが怖くて

自分が手にする幸せを手放すことで心の安定を得ていました。

私はいらないから、どうぞって。

すごく傲慢なんですけど、そうしなければ落ち着かなかった。

そうしなければ好かれないと思っていたし

好かれるためにはなんだってやったんです。

 

だけど、幸せを手放しても周囲は喜ばず、ますます、私から何かを得ようとするばかりでした。私は自分には価値がないと思うようになりました。

 

やっと「幸せになりたい」「欲しいものを欲しいと思いたい」って

思えるようになりました。

諦めることで安心することをやめて、自分の幸せを得るために諦めないことを

やってみようと思います。

 

それは欲しいものを買い、欲しい仕事を手に入れることができるようになったから。

その実力が自分にあることがわかったからなんだと思うんです。

誰かに幸せをもらおうとしないってこと。

 

目くらましの欲を超えて、本当に得たいものの正体を見た時

唖然としましたけれど、納得もしました。

 

勝手に自分の中で「無理」と決めつけていたことも。

 

恋愛の相手というのは、自分を映しだすものです。

私は自分しか知らないけど、恋愛すればするほど、一番奥の自分と同じ人が出てくる。

怖くて仕方がないです。

 

この人を受け入れるってことは、自分の一番見たくなかった部分を受け入れなければならないんだから。

 

女性同士だとそこは回避しようがあるんですよね。

嫌いになるし、避けようと思えば避けれる。

だいたい、その人と仲良くなるメリットが見つからなかったりする。

 

男性で、表面上に現れているものは全く違うのに

「うわ~~~そっっくり私だ!」という人が現れてしまうことに気づくと

もう何とも言えない気持ちになります。

んで、前回はダッシュで離れたんですけれども(笑)

 

受け入れつつ、「いや~むりむり」って。

だから、離れた時のキツイことったらなかったです。

自分から逃げたんだからね。

 

なので、今回はちょっと気合を入れ直しました。

 

自分がこんなに「幸せ恐怖症」とは思わなかった。

いやマジで。

 

離婚しなければ気づけなかったわ、死ぬまで。

 

そして!そのためのひとつとして、新しい習い事を始めることにしました。

もう一度音楽に戻ります。

これは、自分を認めてもらう練習。みんなの前で演奏する快感を得て、「みてみて~」っていう自分を開放するためです。

 

誰か一人に認められることだけを求めて苦しくなってたのですよ。

楽器って手で触れられるし、上達が耳でわかるので

下手っぴでも心は落ち着くのかもしれないね。

 

ネイルに一時期ハマってたんですが

爪が病気になり、回復したけど、またとある理由でメイルを辞めてたのが

功を奏したというところ。道は間違ってないようです。

 

自分のためだけに頑張る日が来るなんてね。

 

人って何歳からでも変化できるんだと思ったことでした。

 

応援してね。

 

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この海を見た日から、変わったんだよなあ。

ギフト

成人の日ですね。

お天気で良かったなあと思ってたら

多くの自治体では昨日だったらしい。

梅田に出てたけど、振り袖姿はあまり見かけませんでしたので

気付きませんでした。

 

バーゲン怖いです(笑)

梅田のリンクスっていうところに行ってきたのですが

いいお店を見つけてしまい、半額セールに引き付けられて

ついつい・・・。

 

ただ、最近は自分が本当に欲しいものがわかってきたようで

買った後の後悔が減りました。

好きなものが側にある幸せッたらね!

 

で。

 

ギフトの話です。

 

とても困難な日々が続いていた時に

あるセッションで「感情を味わい尽くしなさい」ということを言われて

ひーひー言いながらも悲しい時は悲しみを

寂しい時は寂しさを、消そうとせずに味わうことを続けていました。

 

でね。

 

最近「既読スルー」に悩まされ始めたんですよ。

そもそもわたし、無視されることが多い人生でして(笑)

元夫もそうだし、なんていうか、返事くれないってことがね。

 

それで、昔なら「既読スルーされることは失礼である」「既読スルーされないいい女にならなきゃいけない」っていう思考しかなかったんです。

舐められないようになりたいって。

しかも、人からのアドバイスってそういう結論でしょ?

「あなたに問題があるからだ」「あなたが変わればそんな現象は起きない」みたいな。

 

でも、違ったんですよね。

私に問題はなかった。

問題は、「既読スルーされた時に湧いてくる感情」だったんです。

わたしにそれを気づかせるために、わざわざそういう人物に出会わせてくれるっていうか・・・。

 

前は「寂しい」「舐められてる?」「しんどい」「待ちたくない」等々、マイナスな感情が次から次へとやってきて、それだけで精神力ぜろ~になっておりました。

 

だけど、ようやくこのマイナスな感情を切り離すことができるようになったんです。

だって、わたしは悪くない(笑)

わたしに何の問題もない。

どうして寂しいく思っちゃうんだろうね、どうして軽く思われてる~とか思っちゃうんだろうね、かわいいね、わたし(#^^#)みたいな感覚に変化してきました。

 

そうやって、感情を適当にあしらえるようになると

「ああ、そうか、問題はこの感情のトリセツを学ぶために起きたんだ」ということがわかります。

別に「既読スルーされない女」になるためじゃないんですよ~~~

そこ、勘違いしたらしんどいよ!

 

わたしにとって、もっともしいんどい感情(これは人によって違うので、だから、人によって様々な問題が発生してくれるんだけどね)を何度も味わうことで、「いやそれ、もういらないから、味合わなくていいから」っていうことなんですよ。

 

昔にやり残した課題を見せてくれてる感覚。やったら終わりです(*´ω`*)

 

そしたら、同じことが起きても、その感情は湧き上がってこなくなる。徐々にね。

 

ほんっとに、この「無視され問題」が私の大きな課題でした。

それが今回の既読スルーに際してやっと、目が覚めるように理解できました。

相手には「ありがとう」の想いしかありません。

 

最近の、引き寄せだの自己責任論だのが大きく間違えているのはここだと思うのです。

「嫌なことが起きない自分になる」ことを求めすぎ。

そうじゃなくてね、嫌だと思っていたことが、実は、そういう捉え方しなくていいよということが「わかること」です。

 

「問題はそこじゃない」

 

自分が変われば嫌な人がいなくなるとか、嫌なことが起きなくなるっていうアドバイスはとっても罪です。

 

問題の捉え方が変わるんです。

それが人生を変えていくんです。

 

わたしは、寂しさを味わった時、昔のように自分を責めなくなりました。

自分が悪いから寂しくなるんだ、と思うことがなくなりました。

そしたら、寂しく思っていた出来事が、寂しく思わない出来事として認知されるようになります。結果、寂しい思いを「させられなくなった」になる。

 

私など「子どもと離れて寂しいでしょ」と言われることがめちゃくちゃ多いんですけど、そう思ってる人って、自分の子どもが独立した時や、会いに来てくれなくなった時「子どものせいで寂しくさせられた、寂しい、寂しい」って言うよね、きっと。

 

私にとっては、子どもと離れて暮らすことは何一つ寂しくない。

だから、それはちっともダメージにならないわけです。

だけど、既読スルーはとても辛い。

この感覚です。人によって違う。だから、出来事が自分を決めてるわけではないのですよ。すべて、自分が「どう感じるか」に依るのです。

 

子どもと別れることを「悲しい出来事」と捉える人もいれば

「嬉しいこと」と捉える人もいる。

それが悲しい人にとっては、一生子どもと別れない人生こそが最善である、になるし、嬉しい人にとっては、子どもと別れることが幸せになる。

さあ、どっちの結論が正しいと思います?

 

どっちも「子どもが独立して親から離れる」事実に変わりはないんです。

 

自分にとって「都合のいい人生になること」が引き寄せなんでしょうか?

それが幸せな人生なんでしょうか?

 

なんかね、そうじゃないと思うんだよね、今の私はね。

 

「私が幸せである」ことについて、現実はそんなに関係ない。

「起きること」と「負の感情」がリンクした時だけ、「しんどいな」と思うのであって、負の感情がわかなければ、別にどうってことなかったりするでしょ。

 

思い通りにできるのは自分の感情だけなんだろうなあと思います。

現実は思い通りにならないものだし、そもそも「思い通り」ってエゴそのものじゃん。

 

何が起きても、どんなことになっても、「私はどうありたいか」「どういう存在としてこの世界にいるのか」だけな気がします。

 

そして今!勉強する自分になるかならないかが問われているのです_| ̄|○

 

どうするわたし!(爆←そこ~~~

 

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地元の駅に設置されてる♡

 

 

 

覚悟ってそういうこと

雨模様ですが、すっきりした昼下がり。

正月に貯めこんだ食材も尽きて、買い物に行きました。

 

大好きなコブクロなんですが

よくよく「好きな歌詞」を見ると

かなり厳しめ(笑)

 

「閉じた扉叩き潰していこう君の未来のほうへ」だの

「踏みつぶされて枯れるような半端な決意じゃそこには咲けない」だの

もうこれらの歌詞を励みにして乗り越えてきた日々でしたけれども。

 

どんだけ潰されてんだ~~~

 

そうやって自分を鍛えてきた結果。

甘やかされる関係性は必要ではなくなり

自分がどれぐらい人間として成長していけるかに

目標が変化しました。

 

自分があまりにも人を受け入れすぎるとか

理解しすぎるとか

境界線を引かずに優しくしすぎるとかで

自分をぼっこぼこに傷つけてきたわけですが

 

それを避けるための「甘え上手になる」とか「人に頼ってみる」とかいうノウハウなど本当は必要なくて、

「もっともっと本気の、大きな懐になる」ほうがずっと私らしいということが

やっと腑に落ちましたよね。

 

甘えられないことに悩むのではなく、だったらこの関係をどうしたら楽しい?とかね。

 

甘えられなくてキレて終わる、みたいなことが多かった私ですが

いやいや、甘えさせてくれなくても、私のことを嫌ってるわけじゃないし・・・ということに気が付きました。

 

世の中「甘やかしてくれない人は、あなたを愛していない」という定義づけを勝手にする人が多い(みんなそう思いたいんだろう)けれど、そもそも、人を大事に思うということ自体、全員の感性が違うんです。

 

お互いの距離感が適切であれば、べたべたしなくてもいいんだよね。

 

私にとって必要な人だと思えば、私は自分の経験値からどのようにでもできる。

そう思えるのは、ぼこぼこにされた経験があるから。

 

そもそも、家族であっても、世界の端と端に生きてさえいれば、愛を届けられるつもりでいられる私なので、「同じ家にいる」ことが絶対条件ではない。

 

それはそれ、そのような縁がある人とそうなるだろうし、そうじゃない人とは、離れたところでお互いの存在を認め合うだろうと思うんです。

 

わたしは、そういう生き方ができる。

一緒にいてくれないと、とか、世間にアピールできる彼氏がいないと、とかいう価値観でしか測れないパートナーシップを超えていける。

 

それが私の覚悟だと思ったのが、ここ最近のこと。

 

寂しさに耐えられるという意味でもなくね。

 

もう子育て終わったのでね。共同生活や共同作業の必要がない今は、自分が拡大していくことで人間関係を増やす時期。

 

アラフィフの強みはそういうところです。

経験値があって、受け入れる人かどうかの見極めもできて、好きな人にはなんとでもできる。変な男にしがみつく必要がないという精神性はほんとに自由で良きですよ。

 

とことんいい人になります。

とことん嫌な人にもなります。

自分を自在に操って生きていきます。

 

新年の覚悟でした(#^^#)

 

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いちじくと栗のアイス。最高。