風に吹かれて

アラフィフのひとりごと。

山に行く

やっと眼鏡を、作った。

震災で壊れてから、作りに行くのが億劫だったのだが

検診で引っかかったことと、夜道が見えにくくなったことが

決定打になり、重い腰を上げた。

眼鏡屋さんの女性がとても親切に色々と調べてくれた。

少しでも目が楽になるといいな。

 

気がかりのひとつがなくなったのはよきことです。

 

昨日、ブログを書いたのに

間違って、昔、お話を書くために作ったほうにアップしてしまっていた。

 

ま、いっか。

 

そして、山に行った。そういえば、先週も山を越えて能勢に行ったっけ。

 

私は、山派だ。登山が好きとかじゃなくて、山が見えるとほっとするという感じ。

落ち着くのだろう。

海だと、逆にはしゃいでしまうから、落ち着かない。

 

都会と山、私にはどちらも欠かせない。

 

自分について、最近発見したことが「子育てに向いていない私」だったわけだけど

それについては、ひとこともふたことも言いたいことがある。

 

その部分で私は本当に困っていたし、そこがポイントだとは知らずに頑張っていた私に対して、多くのスピリチュアルな人たちが、子育てについて説教したし、子育てが向いていないことを批判するようなことを言った。

どんなに、愛だの宇宙だのの話をしている人であっても

結局は常識まみれの日本人であり

「子育てが下手なのは良くないコト」

「子育てができる人や、夫婦生活がうまくいく才能こそがいいもの」

という風に思い込んでいるんだなあと改めて思った。

 

「子育てが苦手って、めっちゃ才能やん!」と本気で思っている人がいれば、私のこの才能(笑)をすぐに見抜いて、ほめちぎって、肯定してくれたと思うし、励まされたと思う。

誰もが、「あなたの母親としての資質については、疑いがある」みたいな目で見たし、そのせいで、気づくのも遅くなってしまった。というのも、きっと長い目で見ると正解だったとは思うけれど。

 

実は、今、私はこの才能を凄いと思っている。

子ども達は、不登校でも家が好きだったし、なかなか家から出たがらなかった。

その理由は、私がいつも「子どもとの共同生活」だと認識しており

家族関係によくありがちな、お互いの監視をしなかったことではないかと思っている。

それ故、彼らは、実家でありながら、一人暮らしの気楽さを満喫していたということだし、だからこそ、今は一人暮らしをしている二人が、全く困っていないようなので、そこは上手も下手もないけれど、わたしにとっては良かったと思う。

 

他人の思い込み、世間の常識の罠は恐ろしい。

いくら、自分が自分を肯定していても、「母親は子育てが上手になるはずで、ならないのは母親に問題があって、それを正すべき」というのを、誰彼となく、知らず知らずに、押し付けられる。

神様がどうとか言ってる人ほど、簡単にその常識の罠に陥って、アドバイスしてくるのだからややこしい。

 

「精いっぱい自分自身を生きたなあ」と思って死にたいので

キレる時はキレるし、怒る時は怒るし、それで人が離れて行こうとも

誇り高くいようと思う。

それはとても難しいこと。

 

優しくて、人から慕われて、甘えることも上手で、占いでもできて、教科書みたいな人になれば「こんな風に生きたら幸せよ」と人に認めさせながら、この世界の中心で生きていられるのかもしれないけれど。

 

私の世界は、私が中心だからね。

 

日本の嫌いなところは

「これが正しい人間です」というのを、空気でじわじわとわからせられるところ。

宗教が、それを生産しているところ。

 

いつの間にか、生活のやり方や、心の在り方まで指示されるようになった。

個性なんてどこかに行ってしまった。

 

なので、昨日テレビで見た山本寛斎さんのように、本気で突き抜けて(心でね)生きていきたいなあと思う日々です。

「こうしなきゃいけない」ということを一切言われないのね。

感動しますよ、それだけで。

 

ほんとの私に目覚めるってね

くだらない自分に成り下がることです。知ってる?

そこ、誰もきちんと伝えない。

 

 

不完全だからこそそこに、目覚めるんだと思うよ。

 

みんながいつも微笑んでて同じ生き方で同じような服装で・・・ってホラーじゃん。

もうね、おかしな頭の人たちが、その世界を描いでるんだよ。

自分の理想を作りたいと思ってる。気持ち悪いよ。

だから、わたしは、こんな風に生まれついたのだろうと思う。

異質なものとして。同調しない奴。だけど、偉そうで仕事もできて鬱陶しいやつ。

自分を曲げないし、依存体質だし、嫌味ばっかり言うしね。

そこがいいところだと、今の私にはわかってる。

 

久しぶりに、たくさんおかずを作ってみました。

山で野菜と塩麹を買いました。

お料理はいつも楽しい。

 

早く独り暮らししたい。

 ロンドンもいいね。

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自分を大切にする

今日は雨に降られること二回。

なかなかの一日でした。

 

私が今、恵まれてるなあと思うのは

職場の人が「自分を大事にする」を教えてくれていることです。

 

自分を守るために、相手と上手に関わることができる人で

私の雑談を聞いて「よく我慢しましたよね」って言ってくれる。

「私やったら無理ですって~」とかね。

 

あ、そうか、私の我慢は普通じゃなかったんだなって思える。

私の怒りや悲しみ(という風には出さないけれども)をさらっと肯定してくれる。

同じポイントで怒ってくれる人は貴重だと思う。

 

肯定してくれる人が側にいると、成長できる。

ちょっとしたことで怒らずに済む。

世界にたった一人ではないと思えるだけで、自分の感情をコントロールすることも大変じゃない。

自分を好きになる、大切にするためには

味方になってくれる人(べったりじゃなくて)をあちこちに見つけておくことだなあと思うよ。

 

パートナーや子どもにそれを求めても難しいと思うし

世界中に味方を増やしたほうが面白い。

と、わたしは思ってる。

 

たくさん褒めてくれる人をつくろう。

 

どんなきっかけでもいいから。

 

そして、褒めてくれない人を遠ざけてよし。

無理に付き合う意味なし。

その人の自尊心を満たしてるだけだからね。

 

人を選ぶのも、自分を大切にすることのひとつ。

 

相手の反応を冷静に観察すれば、相手がどんな人間だか(私にとって)わかる。

譲れない部分をはっきりしておくことが、人間関係を楽にする秘訣のような気がする。

 

その時に、自分を大事にしてくれた人を思い出して、それ以上かそれ以下かを見定めること。大事にされる感覚を忘れないコト。

わたしはやっと、大事にされた記憶を使うことを覚えた。

 

それは決して贅沢でもないし、理想が高いということでもないのです。

 

心地よく生きていくために必要なこと。

 

誰かに「理想が高い」と言われたら、その誰かは何かを我慢して人と付き合ってるんだねって思ったらいいし、「わたしはそんな関係性はいらない」と思えばいい。

 

わたしは、自分の技術や頭脳は人のために使いたいと思うけれど

「思いやり」や「甘やかし」や「忖度」や「気が利くこと」を無料で配りたくないんです。

そういうのを無料でやることが、女子力だと思ってる人たちは多いし、

無料でやらなきゃ結婚できないと脅す人もいるけど。

そんなことないよ。

 

見返りなしに甘やかしたらあかんし、見返りなしに気を利かしてもあかん。

愛とそれらは似て非なるものだよ。

やった分だけ還ってくる人と付き合おうね。

 

そ、れ、も、愛!

 

宗教的なことを信じているのは、神様とふたりで生きていると信じるためであって、決して神様のふりをした人間を崇めるためではないのです。

わたしはひとりじゃない。いつも見守ってくれている存在がある、と思うことで、とても寂しくなった時や悲しくてたまらない時も前を向いて歩きだせるのです。

決して自分には視えなくても。

 

おじいちゃんもいつも見守ってくれているらしいし(笑)

助けられてるなあ、護られてるなあという安心感で生きていると、私そのものに安心感が備わって、バタバタしなくて済むし、落ち着いて発言するほうが説得力あるしね。

お勧めですが、真似しなくていいです(笑)

 

「占い師を頼るな」とか「スピに依存するな」と言ってる人たちって

結局、クライアントに「神様の存在を信じさせる」のに失敗してるだけですものね。

神様があなたのそばにいるから安心してくださいって伝えるのが本来の宗教に携わるものの役目だと思うんですよ。

それを「神様が見える私を頼って」と思って仕事するからそんなことになるんじゃないかなあ~。

今日はそんなことを思いました。

 

わたしは、人間より、視えない存在を信じていますよ。

人間は常識にとらわれまくって、ジャッジしない人なんてどこにもいない。

けれど、神様的なものは、マジ自分の味方ですよ。

何かをしてくれるわけでもないんですけどね、それでも、少なくとも「私を利用して何かをしてやろう」とは思ってないことはわかるので。

 

お金も取らない(笑)

優しさも奪わない(笑)

むしろ、優しい気持ちにさせてくれます。

 

「視えないモノと生きていく」というのは、視える人だけの特権ではないですよ。

誰にでもできると思います。

しなくてもいいけれど!

 

明日がお休みだと思うと油断するね~。

しっかり睡眠取りましょう>自分。

 

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先日の美術館で。

 

 

予想外の答えがきたはなし

大阪駅に新しくできてた香水ショップ。

noseshop.jp

 

店内でほぼすべてのブランドのフレグランスをクンクンしました。

お気に入りのブランド発見。

好きな香りが二つ以上あるブランドは間違いないです!

 

途中で「鼻、大丈夫ですか?」とコーヒー豆の缶を店員さんが差し出してくれて

コーヒーの香りで休憩しつつ、満喫しました。

 

調香師なりたかったなあ。

 

すべての薫りに素敵な言葉が添えられていて

その言葉たちを読むだけでも想像の薫りで心が満たされ。

 

ストレスが消えていくようです(≧▽≦)

 

ストレスと言えば、職場に苦手な方がいらっしゃって困ってました。

今のスピ解決法の風潮として「苦手な人は、あなたが本当にやりたいことをしているから腹が立つんだ=抑圧の象徴」と言われます。

もう聞き飽きたし(笑)

 

それで、自分の抑圧と向き合えたら、その人が消えたり(どこか行ったり、自分が異動したり)、気にならなくなる、という通説がまかり通っておりまして。

 

いやマジで、違うから、そうならないから!

ってね。

けっこう自分を見つめたんだけど、一向に事態はよくならないし、ストレスで鍼の先生にも私のストレスが移るぐらいの状態になってしまっていました。

 

ところがです!

今日不意に答えがやってきましたよ。

 

「我慢しすぎやねん」って(笑)

 

怒っていい場面やな、不快に思って当然やな、なんでこんな人のこの行動をわたし、我慢していたんやろ?

自分が悪いと思って自分を反省モードにしてた意味が分からんわ~~~あれ?わたし、変わったみたい・・・。

 

と相成りました。

 

「我慢癖」に気づいた途端、反省モードが解除されたというわけです。

 

 

自分の内面とか関係ないしな。

常識外れの人を受け入れてる時点で自分がおかしい・・・って気づけよっていう・・・

わたしは、自分がちょっと世間から見て違う部分があるから、変わった人を許容することで、自分を認めてたんです。

だけど、私の思う「普通」を貫かなかったから今まで辛かったんだとわかりました。

 

常識外れのスピな人も受け入れようとして、めっちゃしんどくなったしなあ。

 

無理したらあかんってことです。

 

今は、ちょっとでも自分のセンサーがピピピと鳴ったら距離を置くことにしています。

誰でも。

昨日までいい人カモと思っていた人でも。

 

たぶん、世の中の宗教的な考え方や思想とは正反対だと思います。

けど「自分を愛する」というのはそういうことだろう。

生きづらさを抱えてスピのほうに行っちゃう人が「私を認めて」と、

好き放題やってるのに巻き込まれてましたよね。

 

変わった人を受け入れなくちゃっていうのが信条でしたから。

申し訳なかったです。受け入れられないのに無理しちゃって。

 

という一言は置いといて。

 

今は、仕事の面でも私生活でも、自分の在り方に芯が通ってきて

ずいぶん楽になってきました。

私の基準の「やさしさ」と「かしこさ」と「ただしさ」を私はこれから貫きます。

押しつけるんじゃなくて、貫き通します。

あなたのために、それらを変えたりしません、ってか変えられません。

 

こういう私と一緒にいたいと思ってくれる人と一緒にいようと思います。

 

と、ひとまず宣誓ヽ(^o^)丿

 

さて。

どうなりますことやら。

 

私の世界に入ってこれる人のほうが少ないけどね。

 

目の前にあるクリムトの「オイゲニア」が優しく微笑んでくれてます。

それでいいのよって。

 

ja.wikipedia.org

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんもののやさしさって

今朝、近所が震源地の地震があった模様。

 

わたしのこの一週間ほどの眠気の正体これでした。

私も信じたくないですが、地震の前は異常な眠気に襲われます。

 

久々に仕事に行くと、朝から不機嫌な上司。

モラ体質だということはわかってるんですけど

職場の雰囲気がぴりぴりしててすぐに外に出ました。

 

わたしはずっと「やさしい」ということを考え続けてきました。

学校はやさしくない。

先生はいじわる。

いじわるな先生を慕うクラスメイト。

地域もやさしくない。

いつも監視している人がいる。

やさしいことは、海外の小説の中にしか存在していませんでした。

 

宗教は愛を定義しているから、やさしいのかなあと思って

近づいてみたけれど

どうもやさしくありませんでした。

 

いろんなものを一度は受け入れたいと思って生きてました。

夫の好きなもの、子どもの好きなものを

受け入れることがわたしの当たり前でした。

だけど、ほんとうは、昆虫も嫌いだったし、夫がボランティアで大道芸するのも嫌いでした。

そんな小さな自分の声に気づけないほど、

わたしは、やさしくない周囲に合わせてやさしくなりたいと思っていました。

 

一度飲み込んでから、好きか嫌いか決めよう。

私の信条です。

今もその気持ちに変わりないです。

食べず嫌いはしません。

 

ただ、嫌いなものを「嫌です」と言おうと思います。

 

それがやさしさだったと知りました。

 

わたしが「嫌です」と言うと、「え?飲み込んでくれたじゃん」と不機嫌になります。

そんなに見た目や何かですぐに判断できるほど、単純なものでできているのでしょうか。私の中で明確な「嫌い」になるまでは保留したいのです。

 

わたしは、あらゆることに四苦八苦しました。

だから、四苦八苦してもダイジョブだと知っています。

どんな状態の人でも大丈夫なのです。

 

コントロールはやさしくないです。

こうしたほうがいい、こっちに違いない、というのは

自分の頭で描いた道筋で、相手の道筋ではないのです。

やさしくない言葉で相手を責める時、あなたはどういう気持ちですか。

 

せめて選ばせるというやさしさをもてませんか。

 

 

「○○は△△である」ということに真実はありません。

「○○は△△かもしれない」に過ぎません。

 

やさしいってなんだろうね。

 

わたしはわたしにやさしくすることに決めました。

 

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旅に出たい魂

あちこちで雨が降っているようですが

こちらはそれほどでもなく

わたしはまた休息の一日を過ごしました。

 

上の息子たちを家から出して一年。

最後のひとりも出ていただく手はずを整え始めました。

どうしてわたしは、自分に素直に生きてこなかったんだろうと思う。

 

旅したい魂が私の中にいるんです。

安定した暮らしがあってこその欲求だろうという世間の突っ込みは置いといて。

いわゆる「寅さん的な」何か。

男だったら今頃どの国にいるかわからないんですよ。

それぐらい、男性になりたかったです。

ふらふらと歩き回りたい、時間を気にせず好きな時に寝たいし、好きな時に食べたい。

動物みたいに生きていたい。その場で気に入った人と一緒になったり離れたり。

 

今日Twitterで天才的な音楽家でありダンスもする人の動画を見てしまい

あまりにも自由で、あまりにも「のだめ」(のだめカンタービレの主人公)で、ショックを受けて、動画やツイートから離れられなくなり。

今まで「やりたいことをやればいいのよ」という発言をしていた人がどれほど軽いか、どれほど嘘っぽいかが一気にわかってしまい

「自分自身を生きる」お手本はここににあると確信。

「一瞬も自分じゃない時がない人」がいたっていう衝撃と共に。

 

そこから眠りに落ちて、気づいたら夜で

自分を縛っていた鎖に気づいたというわけ。

家に帰りたくないなあとか、家族ってなんだかしんどいなあと思ってた気持ちに✖をつけて抑えてた自分。

居心地よくするにはどうしたらいいかを試行錯誤して、たくさんの人のアドバイスも受けたけど、たどり着けなかった悲しみとか。

行き先を間違えて、目的を見誤ってたのだから仕方なかった。

 

 

人って、親族に囲まれてなくても、家庭が温かくなくても、そんなこと関係なく、温かい人でいられるし、温かい場所が創れるし、ひとりでいられるんだね。

それがやっとわかったから

魂のままに生きてもいいなあと思えた。

どこででも誰とでも瞬間の関係性をぎゅっと作れる。

土地とも建物とも自然とも。

 

それでいいんじゃね?って。

 

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岡崎の蔦屋書店の上にあるカフェ。

気持ちのいい空間でした。

夏が終わる悲しい

今朝はクーラー切ってみました。

昔の夏休みみたいな爽やかな風が吹き抜けていきました。

今日でお休みが終わる~~~

今日からでもいいぐらいなのに(笑)

 

10日前とは世界が変わって見えているので

とても大事なお休みだったみたいです。

 

とても重大なことに思えていた人間関係という幻がなくなって

自分を満足させたいだけ、になりました。

 

親子や夫婦でうまくやろうと思ってる時点で

相手のペースだし、相手視点でしか自分を見ていない。

世間の目による「美しい関係」をどこかで意識している。

そんなのは全部嘘だろうと今は思ってます。

 

この社会におけるメリットを最大限もらいたいなら

社会に迎合していく道しかないでしょうし

それも生き方の一つだとは思います。

 

でもそれは、人間関係の本質とは何の関係もありません。

結婚を続けて、メリットいただいたところで、それがその人の人間性が素晴らしいからではないですし。単なる「要領よく生きていける人」です。

恋愛や結婚ができなくて、お金儲けに生きがいを見出して、お金をどんどん得るようになった人たちが「お金と愛は同じです」とか言っても、ご苦労様ですとしか言えないですし。

お金を集める才能があれば、自分が立派になったような錯覚を起こすし、得意な自分に自信を持つから、自信を持ってる女性に惹かれる男性がやってくるっていう仕組みじゃないのかしらね。

 

そもそも結婚したきゃ、どんな人でもできるわけですよ。

紙切れ一枚出すだけです。

それに価値や何かをくっつけるのは、他にやることないからでしょ。

 

普通に相手を思いやって、お互いのメリットを見せ合って、「結婚したらお互い楽だよね」という相手になればOKです。

色んなことには目を瞑って。

 

別に、自立した女性である必要もないし、モテる格好する必要ないし、むしろちょっと依存的であるほうがこの国の男には喜ばれるから、そのまんまでいいんじゃないですか。

 

そのことと、人生におけるパートナーシップとはきっと違うんです。

だって、制度外のことでしょ。人生の真実って。人間の真理って。

 

この国で、とりま結婚しておくという手段をゲットした人は、勝ち組なんでしょう。

そうすることで、「この人はパートナーシップがうまくいってるらしい」という錯覚を起こさせることができる。発言が嘘でも信じてもらえる。

 

という過激な話はここまでにして。

 

もっと遊びたいよ~遊び足りないよ~と8月31日に宿題をやってないことに気づいた子どもみたいな心境になっております。

 

昨日蔦屋書店で購入した梨木香歩さんの新刊を夜中に一気読み。

ずっと著書を買い集め、読み続けていたのですが

素晴らしいストーリーテラーだなあ、と思わされるものでした。

西の魔女が死んだ」からここに辿り着くすべてが、これまでのエッセイや小説に少しずつ伏線としてあって、ファンとしてはたまらない一冊でございました(貧弱な書評で申し訳ない)。

 

椿宿の辺りに

椿宿の辺りに

 

 わたしは、スピ系が言ってる日本の神様ってのはあまり好きじゃなくて(存在は好きだけど解釈がねえ、もうねえ・・・)

本来の神話に基づいた「物語としての神話」が大好きなのです。

 

日本のだけじゃなくて、世界のもね。

 

その物語の中にある普遍的な人間臭い何か。

自然を擬人化しようとした試みとか、自然を理解しようとした人の心とか

こう、色んなものが神話に込められてるじゃないですか。

 

個人的な営みを、決して「だから国が~」みたいな大風呂敷広げないで

個人の営みの中で、大切にしていくもの、というのが本来の信仰なのだと思うのです。

 

面白いことに、この小説に鍼治療出てくるんです。

今の私がやってることとリンクしてるものがやってくるようです。

 

というわけで今日は寝不足のまま朝を迎えました。

 

人生の後半戦がはじまって

今までの人生の流れが見えてきたところ。

息子たちの不登校も、ある意味、避けられたかもしれない出来事だけど

そこまでやらないと、私が公務員やめなかったからだろうなと

なんとな~く思います。

公務員のままじゃ、この自由な自分の魂を発揮するチャンスなかったよ。

自分の強さにも気づけなかったと思うから。

 

あとは、浪費家で日常も適当な私を、このまんまで支えて守ってくれる人があらわれますよ~に(笑)

 

では!

京都の夜はエモい

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京都近代美術館と細見美術館を周って

岡崎の蔦谷に寄ってきた。

京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

京都 細見美術館 The Hosomi Museum Kyoto

 

 

 

目的はこれ↓

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ファッション好きな私としては、見て損はないと判断。

 

さすが、一流ブランドの服たちが並んでいて、目の保養ができました。

少し物足りないというか、なぜその展示?と思うものもあり

クリムト展を見てしまった(6月に)後では、ちょっと残念かな。

服装の歴史をもっと追求するには、国立民族博物館(地元)がいいのかも。

 

ファッションを勉強していると思われる学生カップルが多かったです。

 

現代日本の写真もたくさんあり(スナックとかライダーとか)

私自身が服装を楽しむことにまだ、躊躇しているのを思い知らされた次第。

もっと尽き抜けたものを着てみたいものです。

 

その次に訪れたのが、細見美術館

「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」

 

これは、司書として、本好きの私としては見逃せないと。

 

しかし、客層の違いね。

ファミリーと、民族系のお兄ちゃんたちと、外国の人が多かったです。

細見美術館て階段多くてな~。足がキツかった。

カードも使えないし、なかなかの硬派な美術館とお見受けしました。

 

原画から得るものは多くて

たとえ、ばばっと走り視しただけでも、何かは残ります。

 

そこで本を買うのは頑張ってやめたのにさ~

その後で行った蔦谷書店でタラブックス二冊もお買い上げしちゃいましたヽ(^o^)丿

 

お盆休みに旅行行かなかったから、ま、いっかと思って(笑)

 

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撮影自由だったので、写メってみました。

このシンプルなのが良かった。

 

numero.jp

 

 

 先日からこれを借りて読んでいたのですが

異邦人

異邦人

 

 知らずに借りたのに、舞台は京都、しかも季節は夏。

 

今日私が訪ねた場所も出てくるんです。

 

原田マハさんは、物語と芸術の橋渡しをしているかのよう。

この作品にはモネの睡蓮が出てきます。大山崎の美術館にあったはず。

 

www.asahibeer-oyamazaki.com

 

また見に行きたくなりました。

 

 

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岡崎公園から、バスに乗らずにぶらぶらと、地下鉄東山駅まで散歩。

夜風がちょうど気持ちよく、人も少なく

好きな時に好きなように歩いてる幸せをかみしめていました。

 

鞄の中からはお香の匂い。

 

お盆休みは明日で終わりです。